気ままなつぶやきです


by kibouh1

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新聞の投稿欄からです。

「戦争の体験本なぜ継承せず  78

921日付朝刊(都市圏版)「引き揚げ体験記寄贈拒否福岡市教委『蔑称記載』理由に」に異議を申します。私は敗戦で朝鮮の京城(現ソウル市)から5歳で引き揚げました。幼い記憶しかありませんが、引き揚げ抜きにして戦争は語れません。本紙こだま欄の「戦争| 次の世代への伝言」は欠かさず読んでいますが、投稿者の話をもう少し詳しく聞きたいと思っていた時、手にした本が、この「あれから七十三年 十五人引揚体験記」です。15人の高齢者の方が最後の仕事として命がけで書かれた本です。本はすでに亡くなった両親兄姉の私への言葉だと思いました。この本こそ次世代の方ヘ読んで継承してほしいと思っていたので驚きました。本には「不適切な表現も含まれるが当時の時代背景を重視して筆者が使用した 呼称を正確に記すよう努めた」とあります。体験者が少なくなった今、大切なことは何でしょうか。本を継承していただきますよう、お願いいたします。」(20181013日西日本新聞)

昔の書き物などには差別的表現は含まれるものだと思います。こじつけのように思います。差別的表現は認識しているが当時のまま掲載しているなど追記することで解決するのではないか。


by kibouh1 | 2018-11-30 05:22 | 社会 | Comments(0)

非戦闘員の死は

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新聞の投稿欄からです。

「(声)非戦闘員の虐殺に消えぬ怒り 96歳 201889日朝日新聞

 悲惨な光景が、目に焼き付いて離れない。73年前。長崎への原爆投下時、私は佐世保鎮守府第一特別陸戦隊司令部に所属する海軍中尉だった。連絡任務で本部に呼び出され、飛び乗った汽車の中で見たそれは、粗むしろに横たえられ水を求め喘(あえ)いでいる、原爆にやられた1人の労働者の無残な姿だった。

 逃げるようにその場を離れたが、別の客車では、両目をやられた女学生が「痛いよ痛いよ」と母親らしい人に訴えていた。「もうすぐだから我慢しなさい」というだけでなすすべもない親子を見て、私は天を仰ぎ、怒り、この阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄をもたらした米軍の原爆投下に激怒した。

 戦時国際法にも違反した非戦闘員の無差別大量虐殺。アメリカは人類の歴史が続く限り、この戦争犯罪のためにいばらを背負うべきだと思った。

 ところが戦後、政府もマスメディアからも、こうした声は寡聞にして聞かない。それでは、阿鼻叫喚の中で命を失った多数の霊が浮かばれない。(以下略)」

戦争で犠牲になるのは国民です。先の戦争では結局その責任はあいまいなままでした。再び緊張を演出する人たちに騙されないようにしたい。


by kibouh1 | 2018-11-29 06:26 | 平和を | Comments(0)

群れるのは

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いじめの行動の中で集団の同調圧力が働いていると思います。おかしいなと思ってもそのことを言うのには相当の勇気が必要です。農耕社会の伝統的なしばりが強いのではないかという。

「貧しい生産力を基盤とした昔の庶民の生活においては、お互いに支えあって共同的なあり方をしていなければ生活が成り立たなかったのです。ですから伝統的なムラ的共同性は、「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」といったことわざが示すような同調圧力が強い半面、助け合うという相互扶助の側面も大きかったのです。

しかし現代におけるネオ共同性の根拠にあるものは「不安」の相互性です。多くの情報や多様な社会的な価値観の前で、お互い自分自身の思考、価値観を立てることはできず、不安が増大している。その結果、とにかく「群れる」ことでなんとかそうした不安から逃れようといった無意識的な行動が新たな向調圧力を生んでいるのではないかと考えられるのです」(『友だち幻想』)


by kibouh1 | 2018-11-28 06:55 | 支え合う社会に | Comments(0)

平和ために行動を

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2018105日西日本新聞のの戦争体験投稿欄からです。

「行動しないと平和得られず  60

元日本兵の話を聞いた。当時15歳。ジャングルで、負傷した同僚と行動すれば自分たちが危うくなるため置き去りにした。食料を略奪したが捕まり、次々に処刑された。あと2人で自分の番だという時、通りがかった米兵に救われたという。映画化された大岡昇平の「野火」の映像を思わせる残酷さだった。 戦争を悪だと思う人は多いが、戦争でもうける人も多い。権力者には、戦争は権力を一手に握ることができるため魅力と映るのだろう。戦争を体験していない私は戦争の怖さや非人間性を心に刻むため、機会があればこのような話を聞き、映画館に足を運ぶ。被爆者とひめゆり学徒の方が「どんなにひもじい思いをしても、貧乏であっても、戦争には絶対反対しましょうね」と意気投合された話を思い出す。戦争をしたがる人がいる限り、戦争をしたくない人は学び、行動しなければ平和は得られないと、ようやく気付いた。」

「被爆者手帳はなぜ18年後に  72

父は兵役先の広島で被爆しました。私は昭和21年、終戦の翌年に生まれました。被爆2世ですが特に大きな病もせず、元気に育ちました。多くを語らない父でしたが、優しく育ててくれました。記憶にあるのは、父が被爆者手帳を申請してもなかなか交付されなかったことです。交付されたのは18年後ではなかったでしょうか。爆心地の広島では遺体、動物をトラックで片付ける作業に追われたようです。おそらく今夏のような猛暑の中苦しい気持ちだったでしょう。白血球減少は当たり前、肋骨も半分取りましたが、90歳の長寿で他界しました。被爆者手帳がなぜすぐに交付されなかったのか不思議です。」

「炎のトンネル必死で抜けた  63

22年前、息子の小学校の平和授業で「家族に戦争体験を聞く」という宿題がでたことで、亡き母から聞けた話です。当時16歳の母と祖母は福岡大空襲の夜、博多座(福岡市博多区)にあった銀行の地下に避難していた。爆弾音がだんだん近づいたので「ここも危ない」と抜け出した。坊やをおんぶした知人と一緒に逃げる途中「これをかぶって行きんしゃい!」 と布団を防火用水に浸して 掛けてくれた人がいた。 火だるまで転げ回る人、真っ赤に燃える病院が焼け落ちるのを見ながら、死にたくないと必死で炎のトンネルを突破した。やがて冷

たい風が頬に当たった。助かった。坊やに掛けた布団はカラカラに乾いていた。朝、水を飲もうと防火水槽をのぞくと遺体が沈んでいた」


by kibouh1 | 2018-11-27 06:57 | 平和を | Comments(0)

高島野十郎を思った

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 田中一村のことは知りませんでしたが、興味を持ちました。

「コラム 春秋

 黒潮の海原を越えて、訪ねてみたい島がある。「日本のゴーギャン」と呼ばれる孤高の日本画家田中一村(いっそん)(1908~77)が没した奄美大島。生誕110年の今年、奄美の記念美術館で特別展が開かれている

▼一村は26年、東京美術学校(現東京芸術大)に入学するが、家庭の事情などで中退。50歳の時、沖縄返還前の日本最南端の地、奄美への移住を思い立つ。植物ならアダンにソテツにクワズイモ。生き物ならアカショウビンにチョウチョウウオ。亜熱帯の島の自然を題材に画家としての最後を飾る立派な絵を描くと誓ったのだ

▼そんな一村の絵を見た高倉健さんは著書にこう記す。〈南の島のたくましい命があふれている。自分の命をけずって、絵の具にとかしたような絵だ〉

▼健さんの感想通り、一村は命を削って描いた。食べ物は畑で自給自足。日給450円の染色工として働き、生活費をためては画業に没頭した。精緻な筆致と大胆な構図、奥深い色調で彩られた作品は息をのむほどである

▼一方では、奄美のハンセン病施設で、故郷を追われた患者たちが肌身離さず持っている家族の写真を基に肖像画を描いてあげた。生きているような家族の絵を手にした患者たちは涙を流し喜んだという(以下略)=2018/11/18付 西日本新聞朝刊=」

 人知れずに亡くなった高島とどこかで通じているように感じた。絵のことなど何も分からないのですが、高島野十郎展示会で見た絵にはひかれました。


by kibouh1 | 2018-11-26 06:32 | 社会 | Comments(0)

沖縄を利用していないか

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別の報道によれば、国は沖縄の負担軽減のためにと説明したというが、沖縄のどれが軽減されたのか。本土利用を進めるための口実になっていないか。

「オスプレイ訓練に反発の声 「住民の不安根強い」 日出生台周辺自治体など [大分県]

 陸上自衛隊日出生台演習場(由布市、玖珠町、九重町)で米軍輸送機オスプレイを使った日米共同訓練が12月に実施されることが19日、明らかになった。沖縄の基地負担軽減のため、県では既に同演習場での米海兵隊の実弾射撃訓練を受け入れており、危険性が指摘されるオスプレイによる訓練追加について、地元自治体や住民からは「住民の不安は根強い」「容認できない」と反発の声が上がった。

 九州防衛局によると、訓練は12月7~19日、日出生台演習場と十文字原演習場(別府市、杵築市、日出町)などで実施。オスプレイは12日と16日、日出生台演習場と周辺で最大4機が飛行し、自衛隊員や米海兵隊員の輸送訓練を行う。

 広瀬知事や地元6市町の市長らは19日、県庁で九州防衛局の三貝哲局長から説明を受け、広瀬知事は「了解できない」と反発、その場で抗議した。

 訓練まで時間が迫る中での説明に首長らは不満を示す一方で、訓練実施は避けられないと推察しての発言も。宿利政和玖珠町長は「オスプレイに対し、町民は不安感を持っている。事故を絶対に起こさないという緊張感を持ってほしい」とぶぜんとした表情で語った。

 別府市の長野恭紘市長は「市民の安全・安心の確保を第一とし、市民生活および観光に支障を来すことがないよう、国として万全な対策を講じるよう、県と周辺自治体とともに要望したい」とのコメントを出した。別府市は20日、市役所に対策本部を設置。市長を本部長に約50人態勢で関係機関との連絡や情報収集に当たり、協議事項があれば本部会議を開催するという。

 地元住民も憤りをあらわにした。日出生台演習場の近くで牛の飼育を行い、実弾射撃訓練に当初から反対している畜産業衛藤洋次さん(59)=玖珠町=は「射撃訓練だけでも不安感があるのに、オスプレイまで来るとは」と語気を強めた。演習場のそばには、家族が暮らす集落もあり「事故はいつ起こるか分からない。上空を飛ぶのは許せない」と憤った。

 実弾射撃訓練に反対する市民団体「草の根の会・中津」の梶原得三郎代表=中津市=は「県内での米軍の訓練は強化されている。県民の生命と財産を守るために、県は国にはっきり訓練停止を要求すべきだ」と注文を付けた。=2018/11/20付 西日本新聞朝刊=」


by kibouh1 | 2018-11-25 06:13 | 平和を | Comments(0)

身売りした覚えはないが

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新聞の投稿欄からです。

「老いも若きも笑顔で働けたら 26

「今日何時に帰る?」と私。 「20時には帰るよ」と教員の夫。「明日は何時に家を出る?」 「5時半かな」。「土日は?」 「部活」。帰宅したかと思えば 寝る前に保護者から電話が来る。教員はいつから年中無休の職となったのか。片道30分の通勤も短くならないかと思うほど

忙しい。同業者の友人はほとんどが同じだと言う。「若い」という理由だけで、若い教員に任される仕事も多いという。私が今春まで働いていた職場が定時出社・退勤、役職が同じなら年齢に関わらず同じ仕事だったので、違和感が拭えない。世の中では「働き方改革」を 進める職場が増えてきた。しかし取り組みぶりは職場によって差が大きいのではないか。夫や同僚の友人らは働き方に変化が感じられずにいる。若いからいうだけの理由で仕事を振られることに改革を求めても、管理職が聞く耳を持たなければ、なんの希望も持てない。老いも若きも生き生きと働ける制度がもっと浸透し、仕事を心から楽しめる人、そして家で待つ家族の笑顔が増えることを切に願う。「この忙しさは仕方ない」と言いながら夫は今日も出動していった。外はまだ暗い。」(2018107日朝日新聞)

教員の不祥事も多い。かつては非正規の教員などはいなかったはずです。非正規だから不祥事があるなどとは言いませんが、忙しく、何の先の見通しもない職場。それを変えなければ、殺伐とした学校にならないか。それだけで済むかは分かりませんが。


by kibouh1 | 2018-11-24 06:13 | 教育 | Comments(0)

働くことの意味が

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国際的な考え方は変化しています。「ディーセント・ワークとは、「働きがいのある人間らしい仕事」のことです。ILOは「全ての人にディーセント・ワーク - Decent Work for All- 」の実現を目指して活動を展開しています。」(ILO日本事務所)としています。ディーセント・ワークが基本とされています。外国人を低賃金で働かせることも、障害者を雇用の場から排除することも認められません。

「「排除の意識か」障害者募る不信 雇用水増し 「仕事は社会との接点」

 中央省庁や地方自治体で明らかになった障害者雇用水増し問題は、雇用促進の旗振り役であるべき官公庁が障害者の自立や社会参加を阻害する障壁になっていた実態を浮き彫りにした。第三者検証委員会が指摘した長年のずさんな障害者雇用率の算定について、障害者や家族は「排除の意識」が根底にあったのではないかと不信感を募らせ、「障害者が働ける職場の在り方を真剣に考えて」と意識改革を訴える。

 「やっぱりな」。北九州市在住の精神障害者の男性(39)は水増し問題が発覚した際、とっさにそう感じたという。男性は2010年から6年間、障害者手帳を持たない職員の大量算入が今回発覚した省庁の一つに勤めていた。「職場で会った障害者は1人か2人。どうやって法定雇用率を達成しているのか、疑問に感じていた」

 うつ病で精神障害者保健福祉手帳を持つが、採用試験でそれは明かさなかった。疲労やミスが重なり自主退職するまで、誰にも自身の障害のことを話す気になれなかった。「偏見で仕事が制限されるのが嫌だったから」。ただ、休職した時期もあるため「自分も水増し要員に数えられていたかもしれない」と疑う。

 検証委は、民間に率先して障害者雇用を促進すべき国の機関として「意識が低く緊張感を欠いていた」としながらも故意性は否定した。しかし、男性の受け止めは違う。「障害者、特に精神障害者は扱いにくいという意識がありはしなかったか」との疑念を抱く。

 脳性まひの障害があり、車いす生活を送る福岡県大牟田市議の古庄和秀さん(46)は問題の背景に「知的障害者は字を書けないのでは、視覚障害者は字が読めないのではという、障害者を知らないことに基づく根拠のない偏見」が官公庁側にある、と指摘。人事担当職員による障害者雇用の先進企業との交流や、障害者雇用の担当部署の新設などを求める。

 「仕事が社会との接点だっただけに、今回の問題は悲しい」と話すのは、知的障害がある女性の母親(57)=福岡市在住。娘は19歳から5年ほど福岡市の嘱託職員として病院の調理場に勤めた。好きな料理に携わり、先輩からはあいさつの大切さを教えてもらった。「職場でほめられたり、反省したりして生き生きしていた」と振り返る。娘の給料で京都への2人旅をした時はうれしかった。「喜ばれる仕事をしたい」と話す娘を思うと、働くということがいかに大切かを実感する。「職場は給料のためだけでなく、多くの人と関わり合うために必要な場所。その機会を丁寧につくってほしい」と願う。(以下略)=2018/10/23付 西日本新聞朝刊=」


by kibouh1 | 2018-11-23 06:49 | 働く | Comments(0)

子どもでも負けると

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2018921日西日本新聞の戦争体験記からです。

「子どもなりに負けると思い  87

戦争が始まったのは小学校4年生の時だった。パンザイと叫んだ。米国、英国、中国、オランダのABCD包囲で物資の供給が止められていたからだ。戦争には石炭、石油、鉄、アルミニウムが要るが、日本の産出量は無いか、ほんのわずかだった。

戦艦は完成まで2年、空母は4年かかる。4年後の昭和20年には空母20隻で日 本列島沿いに航海し日本の 都市を爆撃するとの予告を聞いた。子どもなりにその 昭和20年を記憶していた。 飯塚(福岡県)には炭鉱 があり、オーストラリアの捕虜が地下で働いていたので爆撃は無かったが、週に1回くらいは炭鉱事故で死んだ。捕虜たちは市の火葬場に連れて行かれ、その隊列から刑を恐れずキャベツ畑に走り、生で食べる若者がいた。飯塚からは長崎の 原爆も、八幡の爆撃も、福岡空襲の炎も夜空に見え た。子どもでも戦争は負けると思った。」

「子をかばう母 壕で焼け死ぬ  86

昭和19年ごろになると空襲が激しくなり、防空壕掘りが日課となった。大別すると、山肌や崖などを利用した横穴式、空き地や歩道 には縦穴式(半地下式)、民家が密集した下町は床下に 掘った簡易な壕の3種類。 壕も出入り口が1切所と2 カ所では火勢や煙によって生存率が違ったようだ。 長崎県佐世保市の大空襲時は旧制中学2年生の13歳。学校で当直をしていた。校庭にあった出入り口2カ所の縦穴式壕に退避したが、焼夷弾が転がり込んだので他の出入り口から脱出した。悲惨なのは床下式 で、母親が幼い子どもをかばうように覆いかぶさってん亡くなっていたそうだ。火の雨のように襲いかかる焼 夷弾で瞬時に焼け落ちる家 屋によって蒸し焼き同然だったと思われる。なんとむごいことか。一部の指導者の暴走で起きた先の大戦の犠牲者は約310万人。私も父親と2人の妹を亡くした。相手を殺さないと分が殺される。これが戦争である。二度と同じ過ちを繰り返さないことをひたすら祈念する。」

もう「過ち」に足を踏み込んではいないか。


by kibouh1 | 2018-11-22 06:58 | 平和を | Comments(0)

外国人との共生は

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新聞の投稿欄からです。

「(声)外国人との共生には準備が必要 68歳 20181111日朝日新聞

 総務省の住宅・土地統計調査に協力した。近所の51世帯を訪問し、調査票に記入してもらう。外国の方の多さに驚いた。すでに外国人と「共生」する地域社会が生まれている。

 スリランカから来た人には、調査票の漢字の部分を説明してあげた。彼らにとって漢字を読むことがいかに難しいかを知った。都営アパートでは中国語で話す人々によく出会った。「共生社会」をさらに実感した。

 今、日本は少子高齢化で人手不足。外国人の手を借りねばやっていけぬとよく言われる。その通りだろう。コンビニや建設現場で実態を見ているからだ。

 外国人労働者受け入れを拡大する法案が国会で審議され、野党は時期尚早だとしている。ここで私が危惧するのは、欧米が経験した混乱が日本で起きないかということだ。欧州諸国では移民への反発で極右勢力が台頭している。移民と外国人労働者とは、言葉は違うが「共生」が必要な点では同じではないか。

 受け入れには、日本語教育、文化の相違の擦り合わせなど相当の準備が必要である。政府は来年4月の新制度発足を目指すが、もっと慎重に進めるべきではないだろうか。」

法案提出しても細部は調整中みたいなものではなはすだ。それを強引に出してい来る姿勢に準備不足を痛感します。仕切り直しが妥当では。


by kibouh1 | 2018-11-21 06:11 | 政治・行政 | Comments(0)