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気ままなつぶやきです


by kibouh1

<   2018年 06月 ( 31 )   > この月の画像一覧

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新聞の投書を読んでいたら、国会議員にこそ道徳教育をと趣旨のものがありました。それとは別にこんな意見も。

「オピニオン  デスク日記

 国会議事堂は連日、小中学生たちの見学でにぎわっている。歴史ある建物の雰囲気を肌で感じ、暮らしに直結する政治の仕組みを学ぼうということだろう。きちんと整列し、はつらつと歩く児童・生徒たちの姿を目にすると、何だか頼もしくなる。

 ところが、その国権の最高機関で繰り広げられている光景はどうか。いまだに政府側から納得がいく説明がない学校法人森友学園、加計(かけ)学園の問題。国政を預かる政権が、よもや歴史の捏造(ねつぞう)と言える公文書改ざんを働こうとは思いもしなかった。うそ、ごまかし、すり替え-。見せつけられるのは、政権維持にきゅうきゅうとする姿ばかりだ。

 安倍晋三首相は道徳教育に力を入れる。「政治は最高の道徳」とはもはや、誰しも思っていないだろうが、官僚の尻尾切りばかりで一向に責任を取ろうとしない政治家たち。日本の将来を担う小中学生たちに、合わせる顔があるのだろうか。 (山口英宏)=2018/06/25付 西日本新聞朝刊=」

人が意見を述べているのに野次った議員も非難されるべきですが、総理・副総理がやっているのでと言われたら・・・


by kibouh1 | 2018-06-30 06:07 | 政治・行政 | Comments(0)

のど元過ぎれば

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「コラム 花時計

福岡市西区の離島、小呂島までは市営渡船で1 時間余りかかる。島にある小呂保育所の保育士2 人のうち1人が辞めることになり、後任を探して いるが見つからないと知って、2月に取材に行った。新年度に園を運営できなくなる恐れがあると聞いたからだ園には6人の園児が在籍していた。周囲わずか35キロの島で、大海原に囲まれて育っているからか、どの子も素直で朗らかなことが印象に残った。記事が載った後の3月初旬に新しい保育士が決まり安心した(以下略)(野津原広中)」(2018323日西日本新聞)

こんな時期もあったが・・・。支持率回復すれば・・・・。謙虚な自民党なんて「マボロシ」か。

「照会自民も批判 「あってはならぬ対応」

文部科学省の前川喜平前 事務次官の講演内容を自民 党文科部会長らが文科省に照会した問題について、22日の自民党各派関の会合では「あってはならない対応だ」などと批判が相次いだ。 森友学園への国有地売却を巡る財務省の文書改ざん問題で安倍政権の支持率は急落しており、党内は危機感が高まっている。伊吹文明前衆院議長は二階派のあいさつで「自民党は傲慢だ、役人に対して何でもできると思われたのが、支持率を大きく下げた原因だ」と指摘。議員による文科省への照会が「不当な圧力」かどうかは明言を避けたが、「議員という立場で質問をしたり省庁 と対するときは、謙虚に やってもらいたい」と促し た 石破茂元幹事長は「あってはならない対応で、慎む べきだ。行政と教育、党と教育はどうあるべきか、議論したい」と強調した。(以下略)」(同前)


by kibouh1 | 2018-06-29 06:43 | 政治・行政 | Comments(0)

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介護の仕事は専門性の高い仕事ですが、日本では冷遇されています。

「<介護現場>介護職員7割がパワハラや暴力の被害6/21() 毎日新聞

 ◇「日本介護クラフトユニオン」が調査結果発表

 介護現場で働くスタッフの7割が利用者やその家族からパワハラや暴力の被害を受けた経験があるとの調査結果を、介護職員の労働組合「日本介護クラフトユニオン」が21日発表した。大声で怒鳴られたり、サービスを強要されたりするケースが多かった。利用者からのセクハラも横行しており、ユニオンは今後、厚生労働省に対策を要請する。

 ユニオンが4~5月、訪問介護や有料老人ホームで働く組合員2411人から回答を得た。70%が利用者や家族からパワハラや暴力を受けた経験があった。内容は「攻撃的に大声を出す」が最多の61.4%。他は、契約していないサービスの強要34.3%身体的な暴力21.7%「バカ」などの暴言21.6%--だった。中には土下座を強要したり、書類をやぶったりするなどのケースもあった。(以下略)」

このような現場に外国人労働者の受け入れを進めるという。無謀と言わざるを得ないのでは。

「介護職員充足率、地域で大きな差 団塊世代75歳以上の25年度に

20180621日 西日本新聞

 団塊の世代が全員75歳以上になる2025年度に、必要とされる介護職員数に対し確保できる見込み数の割合(充足率)は、都道府県による地域差が大きいことが21日、厚生労働省の推計に基づく分析で判明した。最も低いのは福島、千葉の74・1%で、必要な職員数の4分の3に届かない見通し。充足率が最も高い山梨の96・6%と20ポイント以上の差があった。全国平均は86・2%。100%確保できるとした都道府県はなかった。(以下略)」

日本はミサイル避難訓練は中止するがミサイル迎撃装備は配置するという。米政府との約束なのでしょうか。最低でも2000憶円もするという。金がないのではなく金の使い方なのでは。


by kibouh1 | 2018-06-28 06:16 | 介護 | Comments(0)

障害者問題の背景に

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「コラム 花時計

障害者福祉施設の所長だった40代男性が、知的障害がある利用者の女性(20)に性的虐待をしていた問題を報じた。施設側に取材した際、「恋愛関係だった」(虐待という指摘は)女性の気持ちを無視することになる」と釈明した障害者だって恋愛するし、性的関心も抱くと言いたかったのだろう。女性に関わる別の福祉関係者に話を聞くと、「ありえない言い訳」と切り捨てた。仮に女性の側から恋愛感情を抱いたとしても、「適切に対応するのも支援だ」と言った立場を利用した性暴力はこの問題に限ら ない。上司部下、教師生徒・・・。辞任した財務省の福田淳一前事務次官の問題も構図は同じ。相手との関係性をきちんと理解していれば、ありえない言い訳をするはめになることもない。(久知邦) 」(2018425日西日本新聞)

コラムの指摘は重要だが、そのように対応できる人材が集まってくるのか、集まってきても研修などで支援する力を身につけられるか。そんな不安もあります。

次の盲ろう者になれば支援する力はさらに求められるのではないか。見えない、聞こえない人の世界は東大の福島教授の登場で知られることになりましたが、まだまだ知られれいません。

「盲ろう者を撮る  山上徹二郎

2017年に公開した『もうろうをいきる』は、いろいろな思いが詰まった作品だが、自分の中でもまだ作品の評価が定まっていない。今も上映中であり、映画の被写体になってもらった盲ろうの人たちや、映画を鑑賞した人だちの感想を、充分に消化できていな いからなのかもしれない。いずれにしても、映画は観客の中で完結するので、もう少し時間が必要な のだろう。 『もうろうをいきる』では、目が見えず耳が聞こえない、8名の盲ろう者の人たちを全国に訪ね、撮影した。映画は、視覚と聴覚に頼った表現だ。盲ろう者は、ぼくたち製作者が、これまで映画の観客として無視してきた人たちなのだ。その人たちのことを映画に撮ることについて、当初いくらか戸惑いがあった。10年ほど前から、バリアフリー映画 の製作・普及に関わってきたが、20 16年にバリアフリー映画研究会の仲間たちと、盲ろう者を対象にした上映会を全国3カ所で初めて開催した。 上映会では盲ろう者ひとり一人に、 それぞれ異なる鑑賞方法で情報保障を 試した。盲ろうの人たちにとっても、映画は娯楽であり、また上映会で人と 触れ合うことが大きな喜びであること を知らされた。

(以下略) (映画プロデューサー。挿絵も筆者)」(同前)


by kibouh1 | 2018-06-27 06:13 | 障害者 | Comments(0)

障害者問題の背景に

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「コラム 花時計

障害者福祉施設の所長だった40代男性が、知的障害がある利用者の女性(20)に性的虐待をしていた問題を報じた。施設側に取材した際、「恋愛関係だった」(虐待という指摘は)女性の気持ちを無視することになる」と釈明した障害者だって恋愛するし、性的関心も抱くと言いたかったのだろう。女性に関わる別の福祉関係者に話を聞くと、「ありえない言い訳」と切り捨てた。仮に女性の側から恋愛感情を抱いたとしても、「適切に対応するのも支援だ」と言った立場を利用した性暴力はこの問題に限ら ない。上司部下、教師生徒・・・。辞任した財務省の福田淳一前事務次官の問題も構図は同じ。相手との関係性をきちんと理解していれば、ありえない言い訳をするはめになることもない。(久知邦) 」(2018425日西日本新聞)

コラムの指摘は重要だが、そのように対応できる人材が集まってくるのか、集まってきても研修などで支援する力を身につけられるか。そんな不安もあります。

次の盲ろう者になれば支援する力はさらに求められるのではないか。見えない、聞こえない人の世界は東大の福島教授の登場で知られることになりましたが、まだまだ知られれいません。

「盲ろう者を撮る  山上徹二郎

2017年に公開した『もうろうをいきる』は、いろいろな思いが詰まった作品だが、自分の中でもまだ作品の評価が定まっていない。今も上映中であり、映画の被写体になってもらった盲ろうの人たちや、映画を鑑賞した人だちの感想を、充分に消化できていな いからなのかもしれない。いずれにしても、映画は観客の中で完結するので、もう少し時間が必要な のだろう。 『もうろうをいきる』では、目が見えず耳が聞こえない、8名の盲ろう者の人たちを全国に訪ね、撮影した。映画は、視覚と聴覚に頼った表現だ。盲ろう者は、ぼくたち製作者が、これまで映画の観客として無視してきた人たちなのだ。その人たちのことを映画に撮ることについて、当初いくらか戸惑いがあった。10年ほど前から、バリアフリー映画 の製作・普及に関わってきたが、20 16年にバリアフリー映画研究会の仲間たちと、盲ろう者を対象にした上映会を全国3カ所で初めて開催した。 上映会では盲ろう者ひとり一人に、 それぞれ異なる鑑賞方法で情報保障を 試した。盲ろうの人たちにとっても、映画は娯楽であり、また上映会で人と 触れ合うことが大きな喜びであること を知らされた。

(以下略) (映画プロデューサー。挿絵も筆者)」(同前)


by kibouh1 | 2018-06-27 06:13 | 障害者 | Comments(0)

反骨の人

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6月19日は福岡大空襲の日でした。

「戦災地蔵園児が合掌

福岡博多区須崎町のナーランダ保育園(新森光禎園長)の園児らは朝から、近くの須ケ崎恵比須神社と黒田神社の境内にある「戦災地蔵」をお参りし、犠牲者の冥福を祈った。同園は、新森園長が住職を務める多福寺に併設されている。この日は小雨模様の合間を縫い、年長 組と年中組の園児計38人がそろって両神社を訪問。戦災地蔵の前で合掌し、新森園長と一緒に般若心経を唱えた。その後、同寺の本堂に年少組も含めて集合。新森園長が「国と国とのけんかが戦争です。みんなもお友だちに頭に来た時、すぐに手を出さず、我慢できる子になってください。それが亡くなった人たちの供養になります」と語りかけた。(益田孝)」(2018620日西日本新聞)

晩年になっても権力と対峙した人のエピソードです。

「梅の花 正木ゆう子

二月二十日、俳人金子兜太さんが亡くなった。事年九十八歳。最後にゆっくりお話しできたのは、 一昨年の何月だったか。俳句雑誌の座談会の後のレストラン。兜太さんはステーキを!召し上がった。でも家で食べるのより硬いとおっしゃって、きれいに残したから食べてと言われ、兜太さんに肖ろうと、私が切り分け、皆で一口ずつ戴いた。そしておっしゃるには、「正木さん とはとうとう何もなかったなあ」。そのときすでに確か九十六歳である。なんて楽しい冗談を言われるのだろうと嬉しくなって、「残念でしたね」と応じると、付き添いの息子さんが「いやいや気をつけてくださいよ。この親父さんはまだまだ危ないですよ」と笑い上塗りされて・:・・。ほんとに兜太さん は不死身かと思ったものだ。(以下略) (俳人。挿絵は米倉万美さん)」(同前)

「アベ政権を許さない」などと揮毫して集会などで重用されました。


by kibouh1 | 2018-06-26 06:39 | 平和を | Comments(0)

地域格差は

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歌之介さんの噺を聞いたことがあります。無条件に面白かった。

「三遊亭歌之介さん円歌襲名ヘ

落語協会は23日までに、三遊亭歌之介さん (59)が来年3月、 四代目三遊亭円歌を襲名す ると発表した。昨年4月に亡くなった三代目円歌さんから名前を継ぐよう言われていたという歌之介さんは、取材に「師匠が大きくしてくださった名前をさらに大きくできるよう、全力を尽くしたい」(以下略)」(2018424日西日本新聞)

補習のことです。縁がないのでよく分からないことがありますが、どうなのでしょう。

「コラム 気流

同じ県立高校なのに、そこで受けた教育は夫婦で大きく異なる。熊本県内のわが母校。夏休みの初めと終わりに各1週間程度の補習はあったが、参加は希望者だけ。記憶にある限り、平日早朝の「朝課外」なんて受けたことがない▽片や、教育県として知られていた長崎県出

身の妻。高校では1年から3年まで、平日はほぼ連日、早朝補習と放課後補習。夏休みはみんなでホテルに泊まって勉強合宿。生徒も教師も一生懸命だったようだ▽30年以も前の話。近くには予備校や塾はなかった。妻の出身校の取り組みは地域間格差を埋めるためだったのだろう。生徒の進路希望をかなえさせてあげたい。現場教師の思いは今も変わらないはず。親の所得が子の進学先を左右するといわれる時代。経済格差が教育格差を招く悪循環をどう断ち切るか。そんな視点も大切。」(同前)


by kibouh1 | 2018-06-25 06:48 | 社会 | Comments(0)

福岡大空襲から73年

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意外と知られていない福岡大空襲です。

「6・19福岡大空襲から73年 戦時の駅弁包装展示 福岡市博物館で「戦争とくらし」展[福岡県]

 1945年6月19日の福岡大空襲から73年。福岡市早良区百道浜3丁目の市博物館で、戦争関連資料を展示する「戦争とわたしたちのくらし」が開かれている。

 毎年この時期に博物館が開催しており、今回は各種印刷物に載った標語を中心に約80点を展示している。

 3月に寄贈を受けた福岡市の男性が集めていた戦時中の駅弁ラベル38点を初展示。折尾駅(北九州市)の「かしわ飯」には食料節約のため「本日は肉なし日」とスタンプが押してある。 輸送力を維持するため一般市民の鉄道利用自粛を求める「この一年旅行は止めだ!!」と書いた包み紙のほか、「たのむぞ石炭」と呼び掛ける前線の兵士の絵が載った戦時ポスターもある。 8月26日まで。入館料は大人200円、高校大学生150円、中学生以下無料。(以下略)

   ×    ×

【ワードBOX】福岡大空襲

 福岡市勢要覧などによると、1945年6月19日午後11時すぎから約2時間、221機の米軍B29が福岡市に焼夷(しょうい)弾を投下した。被災戸数は1万2693戸。死者902人、負傷者1078人、行方不明者は244人に上った。当時の奈良屋、大浜、冷泉、大名、簀子の5校区に被害が集中した。=2018/06/19付 西日本新聞朝刊=」

戦争の記憶を確認するのも大切なことだと思います。

 新聞の体験記も貴重です。

「(声)語りつぐ戦争 看護師めざす友は空腹のあまり 89歳 2018618日朝日新聞

 お国のための一心で国民学校高等科を卒業した43年春、日本赤十字社の従軍看護婦の養成所に入りました。14歳でした。

 朝6時から器具の煮沸消毒など診察の準備をし、午前中は病院で実務研修、午後は講義。土曜夜には「教育」という時間があり、その週の言動を上級生から厳しく注意されました。

 でも、一番つらかったのは空腹です。食事の量が少なく、十代の育ち盛り、誰もがひもじい思いをしていて、日曜の面会の差し入れが何よりの楽しみでした。数粒のいり大豆も、必ず同室の4人で分け合いました。

 ある日、廊下に全員並ぶよう命じられました。妹さんが面会に来たのに折あしくお姉さんと会えず、差し入れを他の人に預けて帰ったそうです。ところがその品がお姉さんに届かなかったことが発覚したのです。

 預かったのは誰か。整列した私たちの前を妹さんが一人ひとり顔を確認しながら歩き、そして指さしました。「この人」。その人は姿を消しました。

 差し入れを横取りするとは、よほど空腹だったのでしょう。彼女が哀れでなりません。学業も実務も立派に務めていたのに飢えが道を違(たが)えさせたのです。」


by kibouh1 | 2018-06-24 05:20 | 平和を | Comments(0)

「戦争を知らん奴が」

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「(ひととき)父の日はもう来ない  2018614日朝日新聞

 高校生のとき、父を亡くした私にとって、三十数年間「お父さん」と呼べるのは義父だけだった。1月に亡くなり、「父の日」はもう来ない。

 横浜出身。『少年H』の妹尾河童と同い年の昭和5年生まれ。戦後70年の年、85歳の義父が鶴岡市を訪れる機会に頼み込んだ。「広島に修学旅行に行く私の生徒たちに戦争の話をして下さい」

 演題は「14歳のパイロット」。「精神棒」でたたかれる毎日、真っすぐに飛ぶことしか教えられなかった特攻のための訓練。「修学旅行があるなんてうらやましいですよ」と語りかけた。

 「みんな、真剣に聴いてくれたね」。終わった後、義父の念願だった「藤沢周平記念館」へ行きながら、そう話した。

 兄をシベリア抑留で亡くした。晩年も複数の新聞を読み「戦争を知らん奴(やつ)が勇ましいことを言いおって」と、気になる記事の切り抜きを毎日欠かさなかった。(以下略)

 (山形県鶴岡市  中学校教員 58歳)」

戦争で多くの国民が犠牲になりました。それは活かされていますか。


by kibouh1 | 2018-06-23 06:44 | 平和を | Comments(0)

魚雷で

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2018615日西日本新聞の戦争体験投稿からです・

「数千人の兵士 魚雷受け海ヘ  96歳

数千人の兵隊を乗せた船が、敵潜水艦の魚雷を受けて沈むのを目の当たりに見 た。昭和18年、戦時中のバシー海である。 当時の船団の速度は8ノットで之字運動をしながら航行 するので、なお遅くなる。 朝と夕方、太陽がギラギ ラと輝く海。そんな時、敵潜水艦の攻撃を受けた。「ド、ドーン」の爆発音にわれに返ると、僚船の一隻が 黒煙を上げ、隊列から遅れかけていた。沈没すると分 かったら早く海に飛び込み 船から離れないと沈む船の渦に巻き込まれるという。そのうち船は船首を持ち上げ始めた。兵隊たちが甲板から飛び込むのが分かる。早く早くと思うが、足元が悪いのだろう。兵隊たちを振り落とすように、船

は船首を持ち上げた。数千人の兵隊を乗せていたはずなのに、海上に浮いていたのはまばらだった。数千人の兵隊が船と沈んだのだろうか。」

「軍歌で鼓舞し恐ろしい教育 86

昭和17年、ミッドウェー海戦の敗北を地上戦で挽回するため、学徒動員少年戦車兵や少年飛行兵による増強が行われた。少年は重装備を背に銃を持って山野を駆け回るには まだ劣るが、飛行機で敵の 艦船に突っ込むには何ら大人と変わらない。そのため少年戦車兵、少年飛行兵を ターゲットに即戦力として育てたのである。 私が初めて空を飛んだのは1912月。12歳の時だった。滑空訓練生グライダー による操縦訓練。この日のために、尻も顔も腫れ上がるまでたたかれ、懸命に頑張ってきた。操縦することは最高にうれしく爽快だが、毎日の訓練は地獄だった。軍歌で鼓舞され、休む間もなく鍛えられた。今思うとアフガンの自爆テロの少年と重なり、悲しい。教育の恐ろしさである。」

「死の島に抑留栄養障害次々 69

終戦時、シンガポールの航空師団司令部にいた亡父は連合軍の捕虜となった。194510月末に、シンガポール南方約60キロのインドネシア領レンパン島に抑留された。全く未開発、無人の原始林の島。近隣住民からは「死の島」と呼ばれた。波止場に下りると海中までマングローブの地下茎。ものすごさに圧倒されたという。

兵隊の中には、あらゆる 職業の人がいた。器用に兵舎、道路、倉庫、数寄屋風 の師団長宿舎などを造り、 井戸を掘り、農園も造った。高温多雨、野菜類もできた が、食糧の絶対量が不足し、 栄養障害から浮腫などで40%が作業不能となった。驚いた連合軍が野戦糧食

セットを支給し、食糧不足は改善された。が、年末までに29人がマラリア、フグ、ナマコ、カニ、キノコなどの食中毒と溺死などで死亡。作業はふんどし一つで炎天下に汗を流した。 7カ月間、レンパン島で 生活。464月末に第1陣 の引き揚げ船に乗り、復員した。」


by kibouh1 | 2018-06-22 05:37 | 平和を | Comments(0)