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気ままなつぶやきです


by kibouh1

<   2018年 02月 ( 31 )   > この月の画像一覧

書店に行けない

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新聞の投稿欄からです。

「ときめき求め書店に行こう  65

全国的に書店が減少している。わが県も例外ではない。2000年に100店以上あった書店が、現在は半数以下になっている。地域の書店が減少した理由としては、本離れによる読書人口の減少が一番大きな原因だろう。若者の本離れというが、この傾向は若者だけではない。社会全体で自分で本を買って読む人が減っている。私の周辺も、本や雑誌はネットで読むという人や図書館で借りるという人、 古本を買うという人が増えた。本代が高いのも一因か もしれない。目的の本があれば、わざわざ書店に行かなくてもネット通販で買える時代になった。しかし、私は書店に出掛けて実際--に手に取って本を買う。ベストセラーの単行本や話題の新書、文庫本、専門書など手当たり次第。足が棒になるほど、何時間も立ち読みする。

ネットではたどり着けない発見やときめき。間違いなく書店にはある。」(2018224日西日本新聞)

私の家から近い書店は、徒歩で(私の足はかなり遅い)片道25分が1か所。30分が1か所です。10年以上前までは10分程度に3軒ありました。今は、時間がかかるのと狭いのでそんなに選択する幅は広くありません。大きな書店までは往復1200円程度かかりますので本1冊分程度です。その結果、ネットに頼らざるを得ません


by kibouh1 | 2018-02-28 06:20 | 社会 | Comments(0)
こんなものが届きました
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by kibouh1 | 2018-02-27 11:39 | Comments(0)

軽視できない

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新聞の投稿欄からです。

「若者の右傾化過激さを憂慮  73

佐賀県神埼市の民家に自衛隊ヘリコプターが墜落、この家の小学校女児が負傷した。この父親が「許せない」と語ったことに対し、ツイッター上では「何さまだ、死んだ自衛隊員のことを考える」「死ななくてよかったじゃないか」など被害者を非難する大量の書き込みがあるという。ネット右翼、つまり「ネトウヨ」と呼ばれる若者が多く存在する。電化製品に囲まれ、戦争など影も形もない豊かな時代に育った「戦無派」が国民の多数となった。中でも次代を担う平成生まれの若者の右傾化が顕著になっている。 1月の国会審議で、続発する米軍ヘリの部品落下、不時着を追及する野党議員に、当時の松本内閣府副大臣が「それで何人死んだんだ」とやじを飛ばした。政府要人がこのような発言をすること自体、「ネトウヨ」たちの暴言を誘発しているのではないか。憂慮すべき事態である。」(2018217日西日本新聞)

佐賀だけでなく普天間基地傍の小学校にも似たような「抗議」があったという。それが若者の右傾化なのかとどうかは議論が分かれるところだと思います。どの時代にも一定数のこうした人たちがいて、ネット社会で顕在化したものと見ることもできますが、重たく捉えたいと思います。


by kibouh1 | 2018-02-27 06:25 | 社会 | Comments(0)

凄い人

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大杉漣さんが60大で亡くなりました。石牟礼道子氏や金子兜太氏は90代まで生きられました。いずれにしろ大きな足跡を残した方が亡くなられていきます。

「オピニオン  春秋

 忘れることのできない句がある。〈湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉。生命力にあふれたマラソン走者。爆心地を走るその姿と重なるように、原爆の業火に焼かれ、ゆがめられた人や建物が見えてくる。五・七・五の定型を大きく崩した破調は、軍国主義によって湾曲した日本が崩れてゆく音律のようにも

▼過酷な戦争体験から、反戦・平和を訴え続けた俳壇の重鎮、金子兜太(とうた)さんが亡くなった。98歳だった。右の句は、社会問題などもテーマとする「社会性俳句」を率いた金子さんの代表作。日銀時代に勤務していた被爆地・長崎で詠んだものだ

▼海軍士官として南洋トラック島に赴任し、多くの仲間の死を目の当たりにした。1年余りの捕虜生活の後、ようやく帰国できた。敗戦を知った時、金子さんは決意した。「戦争に抵抗せず、なまくらに生きてきた。出直しだ」

▼きなくさくなる世の中に危機感を強め、安全保障関連法案などに反対の声を上げた。「非業の死者に報いるつもりで、戦後ずっとやってきた」という金子さんの俳句を、共に平和活動に取り組んだ作家のいとうせいこうさんは「わび、さび、平和」と評した

▼「いのち」への強い思いは原発事故の被災地にも。〈福島や被曝(ばく)の野面(のづら)海の怒り〉〈苛(いじ)めあるとか被曝福島の子らよ生きよ〉

▼ゴールのないマラソンのように、亡くなる直前まで、その言葉で私たちの魂を揺さぶり続けた人だった。=2018/02/22付 西日本新聞朝刊=」


by kibouh1 | 2018-02-26 06:47 | 支え合う社会に | Comments(0)

紀元前でも足りない

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「刻(とき)を往く  村田喜代子

数年続けているウオーキング の途中で、私はふと考えた。人 の寿命を平均八O年とするならば、西暦二O一七年などという 時間は、いったいどんなものなんだろう。それに釈迦も入れると二五OO年という膨大な時間 である。 歩きながら暗算すると、一人八O年で十人分の生涯時間を足して八百年となり、二十人足して一六OO年、三十人合わせると何と二四OO年になる。たった三十人分の一生で、紀元前の世界まで後戻ってしまうのだ。三十人といえば、以前やっていた文章講座の人数とほぼ同じ。隔週ごとに教室にみんな自分の人生の出来事を交々と書いて来たものだ。それを横並びにつなげると、合計二四OO年分の自分史が出来上がる!ただ、そこで後戻る時間は一人の人間の一生分が限度である。みんなの待ち時間をいくら足してもせいぜい明治まで。江戸時代にも、平安時代にも、縄文時代にも戻らない。(一部引用)」(20171226日西日本新聞)

核廃棄物の処分完了までに1万年とか、数千年とか言われます。語弊があるかもしれませんが、人間が責任を持てるのは子どもと老人の時代を除くと50年程度かもしれません。それよりも長いことを時代に託すのはルール違反ではないか。


by kibouh1 | 2018-02-25 06:17 | 原発 | Comments(0)

就活の地域格差

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「商品買って、子ども食堂へ

「フードドライブ」で寄付きょうと来月

ヱフコープ大野城店

ヱフコープ生活協同組合(篠栗町)NPO法人チャイルド ケアセンター(大野城市)13日 、食品や日用品をエフコープ 大野城店(同市若草3丁目)で買って居内で寄付し、子ども食堂などで使うキャンペーンを実施した。

市民や企業などから食品の寄付を受け、必要とする人に 届ける活動「フードドライブ」 について関心を持ってもらおうと企画。今回はカップ麺や缶詰、レトルト食品、お菓子、ト

イレットペーパーなど、日持ちする約100種の商品を対象にした。同市を中心におカ所の子ども食堂の運営などに関わるチャイルドケアセンターを通じて、寄付を受けた商品を活用する。(以下略)」(2018214日西日本新聞)

生協らしい取り組みだと思います。

就活の不利さは福岡市でもこんなにかかるという。

「地方の就活は費用がかかる 24

西鉄福岡(天神)駅は就職活動生への企業説明会の案内ポスターで真っ青だった。今春から社会人になる私も、1年前はせかせかと 説明会に駆け回っていた。 図書館で新聞を読み比べ、 エントリーシートを書き上げる毎日だった。東京で就活山中のこと「今週、3千円も使っちゃった」と就活生らしい女子大生の嘆きが聞こえた。どうやら東京の学生の場合、会社訪問には公共交通機関を使うので、そんなに費用は必要ない。だから「3千円も」なのだ。 でも、私の拠点は福岡。東京の企業説明会に参加すれば、格安航空を利用しても1往復約3万円だ。その意味で宿代が浮く夜行バスは都合がよかった。私は広告会社に決まった。費やしたお金は30万円。地方の学生よ。東京の学生と比べたら、就活費用は結構かかる。今のうちから準備するようお勧めする。」(同前)

飛行場に遠い人などはどうしているのでしょうか。


by kibouh1 | 2018-02-24 05:52 | 社会 | Comments(0)

シニアカーの安全は

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「仲畑流万能川柳  毎日新聞2018220日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

☆費用対効果を思う里帰り 愛知 舞蹴釈尊

禁煙をしたと笑った人が逝き 伊勢 オカリナ

忖度が歩いてるよな日本人 東京 レスカ (以下略)」

我もまた忖度日本人か。

シニアカーも暖かくなるとよく見かけますが、歩道を通ったり、車道を通ったりしています。車道が基本なのでしょうがスピードの速い車がすぐ傍を通り抜けるのも恐いような気がしますが、便利なようですね。

「シニアカーは 地域の必需品   56

私の周りには1人乗りの 電動車両シニアカーに乗っている高齢者が多い。交通が不便な地方では、高齢者にとって欠かせない乗り物になっている。先日、おばあさんが「すみません、充電してもらえないでしょうか」と恐縮した様子で訪ねてきた。パッテリーの容量が減り、家にだどり着けるか危ういとのこと。「どうぞ、どうぞ」。私は家の駐車場に招き入れ、充電してあげた。聞けば、週に3日ほど病院通いをしているとのこと。「毎日病院まで出掛け、入院中のご主人のお世話をしている方がいる。小遣い稼ぎにと、自宅で採れた野菜を近くのスーパーに出している人もいる。そんなことができるのも、この車が、あればこそですよ」とシニアカーの重宝ぶりを話してくれた。普段、何げなく見ているシニアカーだが、それぞれの思いを乗せて行き交っているのだ。シニアカーを見かけたら、これからも優しい運転を心掛けよう。」(2018212日西日本新聞)


by kibouh1 | 2018-02-23 06:26 | 高齢者 | Comments(0)

仙崎に

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新聞の投稿欄からです。

「(声)語りつぐ戦争 引き揚げ港、忘れられぬ人情 89歳 2018219日朝日新聞

 戦後間もない夏の終わり、釜山から引き揚げました。連絡船は夜の小雨の中、山口県仙崎港へ着き、小舟に移って本土を踏みました。

 姉と女性ばかり7、8人で暗い中みつけた一軒の明かりを目指し駅まで案内を請いました。中から30代くらいの奥様が出てこられ、「主人も戦地から帰っていません。どうぞ上がってください」。畳の上でくつろがせていただきました。「お茶はありませんので」と煎った大豆に熱湯をかけて風味豊かな味に、冷えた体を温めました。翌日、預けたお米でおにぎりまで作ってくださいました。

 列車から見た神戸や大阪は一面の焦土。焼け残った大阪城が目に焼き付きました。母の郷里の滋賀に落ち着き、苦しい生活をしのぎました。金子みすゞの詩に触れ、優しい内容によく目を通しました。みすゞの生地が仙崎と知り、引き揚げの辛苦の中、癒やされた思い出がよみがえりました。改めて感謝の念を強くします。」

他の引き揚げ記録にも仙崎とありましたので引き揚げ港だったのだと知りました。2度ほど旅行で立ち寄ったのですが、金子みすゞの足跡をたどることはできませんでした。それが残念ですが。


by kibouh1 | 2018-02-22 06:42 | 平和を | Comments(0)

難民になる

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福岡市では引き揚げ港としての博多湾などの写真展示などが市民福祉プラザなどで行われています。(常設かどうかは分かりませんが)

「生まれ故郷を主失い「難民」に 77

外地から引き揚げた人たちの悲劇を描いた「引揚港・博多湾」の上映が福岡・博多小学校であることを本紙で知り行った。今、アジアの玄関口といわれる博多港にあの敗戦後、139万人もが命からがら下り立ったのである。 にもかかわらず、引き揚げを知らない人が多いと聞いた。私は姉と一緒に博多港 の朱色の記念碑やオオシマザクラを見に行ったが、1 本は切られたという。風化 が著しい。今、自分にできることは5歳までの記憶を 書き留めることだ。生まれは朝鮮の京城(現ソウル)。行事、文化、教育全て日本と同じ。ひな祭り、子どもみこしと楽しかった。道路は広く、ビルが 立ち並び、母と歩いた。 急に父を残し、母ときょうだい5人は家を出ることになった。私は旅行かと思い、リュックにパジャマと歯ブラシだけを入れ、群衆となって歩いた。船で博多港を目指したが、着いたのは山口・仙崎港だった。本籍は長崎。曽祖父母の代から京城に住んでいたので帰る家はない。難民である。二度と起きないと誰が約束できようか」(2018119日西日本新聞)

旧満州からの引き揚げなどは「残留孤児」の存在にみられるように悲惨なものがあります。それは、不可侵条約を旧ソ連が一方的に破棄したからだという主張をよく見かけます。ですが、軍や官僚の上層部は破棄されることを知っていて家族を早めに帰還させていたとも言われています。これも戦争責任回避だと思います。その結果が難民になったということも忘れてはいけないのではないか。「満州国」という国際法を無視した幻の国を追われた難民です。


by kibouh1 | 2018-02-21 08:28 | 平和を | Comments(0)

難民になる

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福岡市では引き揚げ港としての博多湾などの写真展示などが市民福祉プラザなどで行われています。(常設かどうかは分かりませんが)

「生まれ故郷を主失い「難民」に 77

外地から引き揚げた人たちの悲劇を描いた「引揚港・博多湾」の上映が福岡・博多小学校であることを本紙で知り行った。今、アジアの玄関口といわれる博多港にあの敗戦後、139万人もが命からがら下り立ったのである。 にもかかわらず、引き揚げを知らない人が多いと聞いた。私は姉と一緒に博多港 の朱色の記念碑やオオシマザクラを見に行ったが、1 本は切られたという。風化 が著しい。今、自分にできることは5歳までの記憶を 書き留めることだ。生まれは朝鮮の京城(現ソウル)。行事、文化、教育全て日本と同じ。ひな祭り、子どもみこしと楽しかった。道路は広く、ビルが 立ち並び、母と歩いた。 急に父を残し、母ときょうだい5人は家を出ることになった。私は旅行かと思い、リュックにパジャマと歯ブラシだけを入れ、群衆となって歩いた。船で博多港を目指したが、着いたのは山口・仙崎港だった。本籍は長崎。曽祖父母の代から京城に住んでいたので帰る家はない。難民である。二度と起きないと誰が約束できようか」(2018119日西日本新聞)

旧満州からの引き揚げなどは「残留孤児」の存在にみられるように悲惨なものがあります。それは、不可侵条約を旧ソ連が一方的に破棄したからだという主張をよく見かけます。ですが、軍や官僚の上層部は破棄されることを知っていて家族を早めに帰還させていたとも言われています。これも戦争責任回避だと思います。その結果が難民になったということも忘れてはいけないのではないか。「満州国」という国際法を無視した幻の国を追われた難民です。


by kibouh1 | 2018-02-21 08:28 | 平和を | Comments(0)