気ままなつぶやきです


by kibouh1

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日銀はなぜあるのか

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「ニュース川柳

・危惧してたかけつけ警護の無理道理

艦内をヒールで闊歩する大臣

・記憶なき人等率いる美し国

・「いのちって何」と問いつつ日野原氏」(2017725日西日本新聞)

新聞のコラムからです。

「気流

「おおかみ少年」 と思われているの ではないか。少し心配だ。日本銀行が物価上昇率目標2%の達成時期を「2019年度ごろ」 に1年先送りした。延期は6回目。黒田東彦総裁の任期は来年4月まで。133月の就任会見で誓った「1日も早い物価安定目標の実現」を見届けるのは難しいもともとインフレターゲット導入に慎重だった日銀。政権を奪還した'安倍晋三首相が2%の目標設定を強力に働き掛け、日銀執行部を刷新した。黒田総裁は 就任直後に異次元金融緩和に踏み込み「2年程度で達成できると思っている」と断言。 それが逃げ水のように遠のいている▼金融緩和は政権の金看板「アベノミクス」の要。おかげで金利は下がり、株価は上がり、円安で輸出企業は潤った。それでいいじゃないかとの見方もあるが、日銀への信頼を揺るがしかねない。」(同前)

任命責任は私にあると繰り返すがどう責任をとったか分からない人もいれば、先延ばして恥じない人もいます。


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by kibouh1 | 2017-07-31 08:46 | 経済 | Comments(0)

解決案の提示を

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新聞の投稿欄からです。

「病院嫌いの夫闘病8カ月  73

夫は酒、たばこを好まず、晴耕雨読の毎日であった。野菜や花作りに没頭、種からまいて育て、近所にもお裾分けして喜ばれた。昨年10月、胃の調子が悪いと夫の病院嫌いなのに、 自分で予約して検査した。不吉な予感。夫の点滴中。 私だけ呼ばれ「がんです」とあっさり宣告された。5日後、大学病院を紹介され、即入院。それから苦しい闘病生活が始まった。

食事は一切受けつけず、点滴のみ。11時間に及んだ手術にも耐えてくれた。私も片道1時間余りかけ、病院ヘ通った。千葉に住む息子夫婦、孫たちも帰省して夫を喜ばせてくれた。3カ月後、退院して家で 静養。しかし、二度と土に 触れることはなく、再発した。私が初めて植えた野菜も花も見ることなく、先日静かに息を引き取った。8カ月の厳しい闘病生活

だった。私もつらかった。今は野菜や花の手入れをしかながら夫をしのんでいる。」(2017726日西日本新聞)

命に関わらないという判断でしょうか。医師会だけでなく政府が説明すべきではないでしょうか。

「ミス多い医師 国民に公表を 49

日本医師会が医療スや医療事故を繰り返していた医師27人に改善勧告や指導していたという記事を読んだ。辞めさせることなく、働き続ける医師がいることに恐怖を感じた。患者は医者の判断を基本的に信じる。その医師に問題があるかどろか、患者には分からない。なのに命を預けている。ぞっとする。医療ミスや事故を繰り返す医師の氏名および病院名は、国民にきちんと公表すべきではないだろうか。医師を保護するのではなく、患者の命を第一に考えるべきだ。医療ミスや事故で人の命が奪われることもある。後で問題のある医者だったと分かれば、患者はたまったものではない。厳重注意や改善勧告、直接的な改善指導が実施されているというが、医師としての適性を考える場も設けでもらいたい。医療ミスを繰り返してもなお、医師を続けていること自体、医師としての適性を欠いている。」(同前)


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by kibouh1 | 2017-07-30 05:46 | 医療 | Comments(0)

長寿で財政危機?


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新聞の投稿欄からです。

「生きかた上手 日野原氏逝く  85

聖路加国際病院名誉院長、日野原重明氏の突然の訃報。100歳を超えても現役の内科医として診療に当たり、講演や演劇、音楽など幅広く活躍された。特に90歳で刊行したエッセー集「生きかた上手」は120万部を超えるベストセラーとなった。語録には、t百歳を過ぎてから第三の人生が始まる、今までしたことのないことをやってみようなどがあり、確固たる信念を持った人だった。98歳の時、5歳上のしいのみ学園創設者、故曻地三郎氏から「99歳までは助走、100歳からが本番」と言われたそうだ。曻地さん100歳で公共交通機関だけ利用し、最高齢世界の一周旅行者の記録を樹立、ギネスにも認定された。年齢は関係ない、ただ前進あるのみと話されていた。享年105だった日野原氏。最期まで情熱と心意気の人だった。私たち世代も 大いに勇気づけられた。ご冥福をお祈りします。」(2017726日西日本新聞)

日野原さんも、曻地さんも亡くなるまで活躍されました。国家財政を案じての思いも分かりますが、そんなに思うように生きられるとは思えません。

80歳過ぎたら延命に頼らず  86

財政が社会保障費の増加などで危機にひんしている。「終活」とともに、死に関心を持たざるを得ない。平均寿命が延び、入院や認知症の患者増加が著しい。国家財政の危機を救う のは「寿命が来たことを悟り、若い世代のためいたずらに現代医学に頼らず、自然な形で命を天にお返しする」という考え方の普及だと私は考えている。長寿社会だから、80歳までは必死で再生を図るべきだ。だが、その後に例えば自力で経口飲食ができなくなったら「もう十分生きた」と観念して「延命治療」の力に頼らない。自然に枯れるという心境だ。そうした意思表示を健康なうちに明確にしていくことが現代の高齢者に大事なことだと考えている。」(同前)


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by kibouh1 | 2017-07-29 04:27 | 社会保障 | Comments(0)

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「仲畑流・万能川柳   毎日新聞2017726日 東京朝刊

☆印は秀逸(仲畑貴志選)

エラいなあ友を大事にする総理 相模原 水野タケシ

グングンと今音がした温度計 神戸 芋粥

負けたけど話題にならぬ党もある 東京 三次 (以下略)」

民進党の議員が総理に質問したのに大臣が出てくる。そういう細かいことは大臣が答えるという。失礼な話だ。野党として調べて総理に質問しているのに「細かいこと」と言い放つ。この体質が内閣の性格なのだろう。

「(声)閉会中審査、主権者軽視に驚き  72歳 2017726日朝日新聞

 加計(かけ)学園の獣医学部新設問題をめぐる衆参予算委員会の閉会中審査は、予想されたこととはいえ、疑惑が深まるばかり。主権者の疑問をこれほど軽視した答弁は聞いたことがありません。

 中でも驚いたのは、単純な事実関係についての安倍晋三首相の答弁です。加計学園の申請を知った時期を問われ「今年1月20日」。その日は、国家戦略特区諮問会議で加計学園に決定した日ではないですか。諮問会議議長の首相が申請を決定の日まで知らなかったなど信じようがありません。

 前川喜平・前文部科学事務次官が「キーパーソン」と指摘した和泉洋人・首相補佐官にも驚きました。「総理は自分の口からは言えないから、私が代わって言う」と発言したとする証言に対し「そういった記憶は全く持っていない。従って言っていない」と平然と言ってのける。「記憶がない」のになぜ「言っていない」と断言できるのか信じられませんでした。

 「記憶がない」「記録がない」そして「言っていない」。こんな答弁が横行する今の国会。この現状を選挙民である国民は今こそ直視し、行動しなければ、日本は危うい。そう考えた2日間でした。」


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by kibouh1 | 2017-07-28 03:39 | 政治・行政 | Comments(0)

自民党への怒りは

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「 デスク日記

 養蜂関係者によると、ミツバチにとって都心は快適な環境なのだそうだ。農村部に比べ農薬の影響が少なく、公園や街路樹などの緑も豊富。ビル屋上にミツバチの巣箱を置く都市養蜂は年々広がり、福岡市・天神のデパートでも地上55メートルの屋上で実践中だ。

 -との記事を福岡都市圏版に掲載したところ、読んだ知人の息子いわく「でも、そんな高さまで蜜を運ぶハチは大変なんじゃないの」。そうかもしれない。そもそも都心が「快適」というのも、農村部をすみにくい環境にした人間の勝手な解釈だろう。

 養蜂の歴史は古く、1万年前のものとされるスペインの洞窟壁画に採蜜の様子が描かれている。天神のデパートで巣箱を管理する女性社員は虫が苦手だったが、今は近くの公園でミツバチを見かけると「うちの子かも」といとしくなるそうだ。ビル街を飛び回るミツバチの羽音が、人と自然との関係を考えるきっかけになればいい。 (山本敦文)=2017/07/24付 西日本新聞朝刊=」

三越のことですが、文字通り天神の中心。西鉄電車の福岡駅の上になります。蜂にとって快適な環境とは・・・。

閉会中審査のニュースを見ました。防衛大臣は辞めさせないという。真摯な対応とは思えない。民進党の支持率が上がらないのを国会で揶揄した人が反省できるのかと疑いました。

「やりたい放題怒りの都議選  66

東京都議選で案の定、自民党が議席を半分以上減らす大敗を喫した。平家物語の「驕れる者久しからずただ春の夜の夢の如し」。まさしくその通りとなった。国政で1強の傍若無人の運営。やりたい放題ではなかったか。常識を疑う大臣、 政治家を次々に生み出した自民党。それを反省もしなかった自民党。都民は、その怒りを都議選にぶつけた。問どうか間違えないでほしい。政治は政治家や官僚を守るためにあるのではない。国民のためにあるのである。肝心なことを自民党は忘れていたのだ。一方大勝した小池知事率いる都民ファーストの会。自民惨敗を他山の石として肝に銘じ都政に生かしていってほしい。党名の通り、住民第一の政治の実現を望む。常に緊張感を持って使命に励み、くれぐれも都民の期待を裏切ることのないよう願う。」(201778日西日本新聞)


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by kibouh1 | 2017-07-27 04:05 | 政治・行政 | Comments(0)

平和であること

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新聞の投稿欄からです。

「梅干漬ける 香り立つ甘さ 69

汗っかきの私にとってじめじめ、べたべたは大敵。 万一でも、春から夏への通過儀礼として欠かせない。水は 命の源だから。空梅雨かと思わせる中、やっとの雨。アジサイやクチナシの花がうれしそうに右に左に揺れている。一昨 年、ご近所から頂いたハンゲショウ(半夏生)も根付きそこはかとない風情を呼ぶ。車窓から田んぼに、水が引かれる様子が見える。水 の先端は「今年も頑張るぞ」と力強く四方に広がり、田を潤す。ペシャワール会の中村哲氏らによるアフガニスタンの大地に水を引く大事業。スイカを頬張る氏の笑顔が忘れ難い。明日を安心して迎えられる食べ物と住居があれば、争いは起きない。今年もラッキョウ4キロ、妹の手も借りて梅10キロ漬けた。大変だが、今年も当たり前のことができる幸せ

に感謝したい。湿気の中に香り立つ梅の一匂いは、桃のように甘い。」(201774日西日本新聞)

梅の話ができること。そのことの意味を考えさせる戦争体験記からです。

201777日西日本新聞からです。

「小過は改めず生き方を学ぶ 93

昭和19年の1年間、私は福岡城跡にあった陸軍部隊の上等兵だった。ここでの衛兵勤務。衛兵とは兵営内の重要地点を武装して不審者などがいないか、監視するのが役目だった。

福岡部隊の場合、下士官が隊長で、総勢は15人ほど。 1時間交代で表門、裏門、軍旗奉安室、弾薬庫、兵器庫周辺を警備する。遺体を守る「屍衛兵」を命じられたこともある。私が兵器庫衛兵を務めた時の出来事。歩兵砲などを、格納している倉庫の周りは約300Mあった。衛兵はそこを歩いて回り、時に背後を振り返って警戒するのが常だった。私が歩哨の時、週番士官の将校が監視に来て「君は5歩前進後、背後を振り返っている。が、ここの倉庫規定では、3歩前進後、振り返るとなっている。君の勤務は怠慢だ」と大目玉をくらった。私はその後、幹部候補生となり、歴戦の教官から「戦闘時、令は小過なれば改めずだ 行け」と中国の兵法書を教わった。その後の私の生き方ともなった。」

「祖母の手取り空襲下逃げた  85

昭和205月末、米軍B 29の大編隊が横浜市の空を埋めた。午前8時ごろ、サイレンも鳴りやまぬうちに、空は真っ暗になった。同時に不気味な音がして、照明弾と焼夷弾の入り交じったものが雨あられと降ってきた。小高い所にあった家々は瞬く聞に燃え、住民がどんどん街中に逃げてきて右往左往していた 私は祖母の手を引き、安 全地帯を求めて崖伝いに逃げ延びた。美しい街並みはあっという間に炎に消えてしまった。

学校の先生が安否を気遣い、生徒の行方を捜し始めた。私も同行した。焼き尽くされた場所に、早くも焼け焦げたトタンを囲って、小屋が建てられていた。訪ねた生徒は真っ黒なすはすだらけの顔をしながら も、笑ってみせてくれた。その笑顔は今も忘れない。福岡の戦争と平和展にも何度か足を運んだ。ただただ悪夢であった。」

「兵役免除の父志願し戦地ヘ  75

学校の講堂の壇上正面の「奉安殿」には、天皇、皇后両陛下のご真影が飾られ、終戦まで教育勅語が校長先生によってその前で読まれたという。森友学園問題の浮上によって、それは明治時代、軍拡路線に突き進む軍閥のドン、時の総理大臣山県有朋が天皇のためなら死んで本望と人心を洗脳する目的で作らせたものであることを知った。

電力会社勤務で兵役免除の父。母は「行かないで」にと懇願したが、父は「男が国を救わんでどうする。死んだら靖国神社に」と言って、ニューギニアの戦地に向かったという。しかし、到着直前、輸送船が沈められ、帰らぬ人となった。そして敗戦。多数の戦死者は英霊、み霊と美化され、靖国神社に祭られている、国民皆兵で駆り立てられた犠牲者でもある。

しかし、憂国の時、命を懸けて国を守ろうとした行為をはじめ、肉親への 無償の愛にも通じる。それ は神聖なものだ。 今更、この教育勅語の違憲性などを論じる前に、為政者は多くのみ霊の前で命 懸けの外交努力を誓い、非 戦を勝ち取るべきではないだろうか。」


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by kibouh1 | 2017-07-26 04:31 | 平和を | Comments(0)

お友達内閣と呼ばれて

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「稲田氏、組織的隠蔽を了承 PKO日報、国会で虚偽答弁」(西日本新聞)という。こんな政治でいいのか。そんな防衛省で大丈夫なのか。そんな不安を抱かせる今回の騒動。

新聞の投稿欄からです。

「身びいきこそ 現政権の本質 60

安倍首相が、もし東京都議選最終盤の稲田防衛相の応援演説を逆利用する策士であったならば、自民党も、もう少し落選を減らせたかもしれない。

投票直前に「泣いて馬謖を斬る」として防衛相 を更迭していれば、身内に 甘いとされる体質への批判をある程度、かわすことができたのではないか。しかし「自衛隊としてお願いしたい」が、官邸のいつもの「問題ない」で終わってしまった。それで、完全にアウトである。

安倍内閣の身びいきは森友・加計問題の本質である。森友問題の国会答弁で防波堤となった財務省理財 局長の国税庁長官栄転も製「論功行賞」に見えてしまう。そもそも疑惑の渦中にある内閣人事局長が官房副長官で、加計学園傘下の「名曹誉客員教授」でもある萩生都田光一氏なのだから、誰しも「総理のご意向」と思ってしまう。そう考えれば、アベノミクスの目玉「カジノ構想」だってゲーム産業の身びいきにならぬよう、国民はしっかり目を見開いていかねばならない。」(2017722日西日本新聞)


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by kibouh1 | 2017-07-25 05:18 | 政治・行政 | Comments(0)

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「花時計

連載「福高讃歌」の取材で、福岡市の石飛英二さん(91)から戦争の話を聞いた。連載に書けなかった内容を記す父・朋一さんは先の大戦中、旧制朝倉中の校長だった。海軍の飛行予科練習生になった多くの教え子は、戦況の悪化に伴い、特攻隊員として戦場で散った。朋一さんは「生徒に、死ねと言ったようなものだ」と悩み、米軍が沖縄に上陸した際は「自分も切り込んで死ぬ」と涙ぐむ。多くの兵隊を送り出したとして戦後、朋一さんは戦版とされた。職を失い、家族は生活のために豆炭を売り歩くなど苦 労を重ねた英二さんは言う。「自分は軍国少年だった。戦後初めて、それがいかんと分かった」。まもなく終戦から72年、戦争の記憶は薄れつつある。過ちを繰り返さないよう、歴史の証言に耳を傾けたい。(北嶋葵)」(2017722日西日本新聞)

「過ちは繰り返しません」とは広島の原爆碑のことではなかったか。「過ち」というと1億総懺悔という言葉に聞こえます。言葉を生業される記者さんには慎重な言葉選びを期待したい。大臣がこんなふうですから、余計に期待します。

「防衛相の不在 危機管理なし  58

今回の九州北部の豪雨災害で稲田防衛相の行動が問われている。自衛隊の災害派遣が決まり、現場で自衛隊員が猛暑の中、汗まみれで救助活動をしている最中、指揮官の防衛相が40分程度、防衛省を不在にしていたという。 しかも、政務三役全員も不在だった。稲田氏は以前から、言動が何度も問題になり、そのたびに「真摯に受け止める」「深く反省している」と繰り返してきた。が、反省は全く生かされていないようだ。死者や行方不明者が多数出ている。危機管理のなさに憤りを覚える。大臣の地元が災害に遭っていたら、同じような行動を取っただろうか。防衛相、一政治家、人としての資質が問われる。

また、菅官房長官の「問題ない」とかばう姿勢にも、またかとあきれ返るばかりだ。政府、自民党は過ちから何も学んでいない。」(同前)


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by kibouh1 | 2017-07-24 04:32 | 平和を | Comments(0)

将来を見据えた山林は

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「元気ダネ!

認知症による徘徊(はいかい) で行方不明になる高齢者の数が年々増加しています。警察庁に よると、2015年には12208人 の届け出がありました。 行方不明者の生存率は、時間 の経過とともに急激に低下します。桜美林大学老年学総合研究 所の調査では、翌日に発見された場合の生存率は6割強、3~ 4日目は約2割、5日日以降ではゼロになってしまうそうで す。 そこでお勧めしたいのが、衛星利用測位システム(G P S)機 能が内蔵された靴の利用です。徘徊の心配がある人に普段から GPS内蔵靴を履く習慣を付けておいてもらえば、発見できる 可能性が高くなります。 例えば、NTTドコモのGPS端末を内蔵している靴の場 合、現在位置をスマートフォン で確認することができるだけで なく、自宅から指定の距離を超 えたら通知するなどの設定も可能です。」(2017720日西日本新聞)

今度の水害ではなぎ倒された杉の流木が被害を拡大させたという。国策に沿っての杉の植林が裏目に出たという。食糧もそうですが国策が成功した試しがあるのでしょうか。

「森林の現状に 愛はありしや  87

九州北部、朝倉・日田一帯に襲来した豪雨に心痛しつつも、本紙の東峰村長の談。「村の86%山林、なぎ倒されたスギが集落に・・・」「大雨が降ると、スギは山の表層ごと崩落」「国策に従い、スギの植林推進」「されど林業衰退」「手入れ不足」と、被害増大の要因に目を留めた。昨今、天気予報に「土砂災害に警戒」と聞くが、それは天災ではなく「人災」と感知する。私は村教育長在職中、ふるさと創生基金で「世界子ども愛樹祭コンクール」を創設した。その5回目の「森の大賞」に輝いた当時、小6西尾洋一君の作文を思い出した。「空室という地区がある。家は2軒しかない」「大正10年、ものすごい土石流が起こった。しかし(樹齢600年の)カツラの大木が流れを二つに分け、地区を守った」ここには山里に住む人々の愛樹精神が読み取れる。防災、森林政策の基層に経済的視点のみでなく、このような愛樹の心を希求したく一筆・・・」(同前)

山の在り方が問われているのだと思う。そして、今もまだ行方不明者がいる事態の背景もまた解明される必要があるのではないか。


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by kibouh1 | 2017-07-23 05:53 | 社会 | Comments(0)

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201716日西日本新聞の戦争体験特集からです。

「大邱駅で軍歌 兵隊を見送る  90

昭和127月、当時支那事変と呼ぶ戦争が勃発。当時私は朝鮮(韓国)慶尚北道大邱市の鳳山町小学校6年であった。大邱には第八十連隊が駐屯。出撃命令が下り、早朝軍旗を奉して大邱駅を出発していった。われわれ小学生は全員、 駅前中央通りの朝鮮銀行前に整列して日の丸の旗を振り「万歳、万歳」を連呼した。その後は慰問文を書き、慰問袋を戦地に送った。戦地からの便りも教室や講堂で披露された。慰問文や慰問袋については、小学校区に陸軍官舎(将校官舎)があり、出征兵士の指揮官を父親に持つ級友が数人いたので、熱心に取り組んだ。また、私たち上級生は軍隊が大邱駅を通過するたびに駅のホームまで見送りに行き、軍歌で兵隊さんを励ますことに精を出した。支那事変は戦線不拡大、早期解決の期待もむなしく戦火は拡大、泥沼化し、ついに敗戦への道を進んだのである。」

「追悼式を営む 導師を務めよ 93

日本艦隊の入浴の順番。日替わりなので、新兵が一番風呂となることもある。ところが、士官になると階級の差は厳然。下級士官は毎日、最後の風呂である。節水のため、私の番になると湯の深さも20センチほどに減っていた。ある夜、入浴中に浴室のドアをたたく音がした。開けると、幕僚閣下が立っておられた。裸のまま、挙手の礼をした。「レイテ沖海戦以来の戦死者の追悼を営むことになった。君はお寺の生まれと聞いている。導師をやれ」とのこと。私は大変なことだと思い「お断りいたします」と答えた。「なぜだ」「私のお経本が(巡洋艦) 那智と共に沈みましたので 無理です」。でも「だれもお経の分かるものはいな い。やれ」との命令だった。 巡洋艦足柄における私の 秘話である。以後70年以上 を生き延びた。感慨無量である。」


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by kibouh1 | 2017-07-22 05:12 | 平和を | Comments(0)