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気ままなつぶやきです


by kibouh1

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核なき世界は幻か?

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「米大統領訪問 何訴える広島  61

オバマ米大統領が今月27日に広島を訪問するそうですね。ブラハ演説で核なき世界を目指す決意を語った大統領に、原爆被爆地・広島は何を訴えかけるでしょうか。先の大戦では、日米はいずれも原爆製造の研究をしていた。物量に勝る米国が先に開発に成功し、戦後の米ソの冷戦時代を見据えてその威力を試すために広島に投下したというのは歴史の定説になりつつあります。米側はこれにより、多くの米兵の命が救われたと主張します。が、そのために12万人以上の一般市民の命を奪ったのは、戦時の国際法に照らしても許されるものではありません。明らかに人道に対する罪です。いかに戦勝国であろうとも、トルーマン大統領は戦犯として裁かれるべきでした。広島への原爆投下2日後にソ連が対日宣戦布告したことを考えれば、少なくとも長崎への投下は不要だったはずです。でも、日本が先に開発に成功していたら、米国のどの都市に投下したでしょうか。そう思うと、戦争に勝者はいません。やはり、戦争は絶対に駄目です。」(2016521日西日本新聞)

核保有国に核がこの地球を破滅させるものだという自覚が必要ではないか。

「(声)「核なき世界」が被爆者の願い 78歳 2016524日朝日新聞

 私は長崎の被爆者です。あれから71年。核軍縮、核不拡散の取り組みが停滞する中、「核なき世界」へ前進する大きな節目として、オバマ米大統領の広島訪問が生かされることを願ってやみません。

 被爆したあの日、私は防空壕(ごう)に飛び込んで助かりました。しかし、父は被爆死しました。

 爆心地から約3キロの自宅の近くで、死の静寂と壊滅した町を見ました。ぼうぜんと立ち尽くしながら、こんな悲惨な結果を招く爆弾はもう使えるはずはないと思いました。間違いなく、核兵器は絶対悪です

 第2次大戦の修羅場を乗り越えて、今があります。唯一の原爆投下国と被爆国はいまや同盟関係。その意義は大きいと思います。オバマ大統領の広島訪問は、つらい戦争を乗り越え、未来志向で核なき世界へ前進する貴重な機会だと受け止めています。それが広島、長崎の被爆者への追悼にもなるのではないでしょうか。

 オバマ大統領も広島の平和記念資料館を訪れれば、被爆の現実を目にして心を痛めるでしょう。核を必要悪として保有する国がある現状の打破と、世界平和のために、大統領が力強いメッセージを発信することを願っています。」


by kibouh1 | 2016-05-31 05:08 | 平和を | Comments(0)

不安との格闘

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地震の脅威をこんなに感じたことはありません。

「音楽で癒やし 不安が和らぐ  54

今回の熊本地震、あまりに大きな災害で連日、メディアから入ってくる情報に心を痛めています。災害は現在進行形で、殊に絶え間ない余震の恐怖は、離れた所に住む私たちの精神までも不安定にさせます。私もその一人で、もともと体が弱いのでまいっていますが、一つだけ見つけた対処法があります。それは音楽の力を借りるということです。なるべく優しい曲、例えばオルゴールやハープの心和らぐ音色の曲をBGMとして流していると、余震を 恐れていた部分がほころび ます。前より落ち着いて過ごせます。震災当初、刺すような胃痛とひどい吐き気に悩まされていた私も随分、救われました。現地では、それどころではない状態かもしれませんが、少し状況が落ち着いたら音楽の力を借りてはどうかと思います。

心の不安、情緒の乱れはどの方にも起こっているはずです。現実の厳しい姿と対峠し、苦しんでおられる方々に何もできないのが申し訳ないのですが、せめて音楽の効用を提案し、何かの参考にしていただけたらと思います。」(2016521日西日本新聞)

それは絶え間ない地震の連続からでもあるでしょう。

次のように語ることもいます。

「西日本詩時評 岡田哲也

熊本で地震後、学校が再開されました。私はほっとしました。学業の遅れを案じてではありません。学校が「魂のかくれが」にもなるからです。生徒たちも先生たちも親たちも、この間きっと教科書にもカリキュラムにも育児書にもない事を体験したと思います。人生観の核になるようなものです。私は当節はやりの「心のケア」を信じない程度には「三つ子の魂百まで」というのを信じています。いや、こうでも思わないとやってゆけないのです。かつて出水市の土石流で、一夜にして21名が亡くなった時、私は被災した友人に

言ったことがあります。「地面に叩きのめされても、這いつくばっても、藁を掴んでもいい、犬の糞を掴んでもいい、立ち上がろう」―憂しと見し世ぞ今は恋しき、いつかこのように懐かしくふりかえる時が来ればと思いますが、むろんそれはそんなにたやすいことでも生易しいことでもありません。(以下略)」(同前)

ひんどの体験を次の世代にどう受け継ぐかですね。


by kibouh1 | 2016-05-30 05:52 | 震災 | Comments(0)


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「軍服脱ぎ捨て平和に着替え  76

4月の「こだま」の「9条の『産着』もう脱ぐとき」に一筆啓上します。「僕は軍人大好きよ 今に大きくなったなら勲章付けて剣下げてお馬に乗ってハイドードー」。私が戦時中、よく口にした歌です。でも、戦後は口にしなくなりました。子どもながらにも歌ってはならない、と悟ったからです。このように当時の日本は、大人から子どもまで逆巻く戦渦をくぐり抜けた人々であふれ、厭戦気分がまん延していたのです。民主主義が何たるか分からなくても、平和のありがたさを享受していたとき、国民の心を代弁した戦争放棄の憲法9条に、誰もがうなずいたのです。 これは「産着」を着せられたのではなく、軍服を脱ぎ捨て、民主主義と平和の新しい服に着替えたのではないでしょうか。喉元過ぎて熱さを忘れてはなりません。戦争の悲惨さを多少でも味わった者は、それを知らない人に語り継ぐ責務があります。」(201659日西日本新聞)

自衛隊が必死の募集をやっているそうです。

「募集施策―住基台帳使い大量DM

北九州市役所の区政事務センター。施設内の「住民基本台帳の閲覧室」に201456月、自衛隊福岡地方協力本部(福岡市)の職員2人が連日通い詰めた。 2台あるパソコンの前にほぼ朝から夕方近くまで陣取り、市民約98万人分が登録される台帳を画面上でめくる。15年春の高校卒業者に相当する「199642日~974l日」生まれの男性を見つけると、住所、氏名、生年月日、性別を手書きで用紙に記入。その作業を続けた。目的は、自衛官募集の適齢者の情報を得て、募集案内のダイレクトメール(DM)を送付すること だった。13日間で書き写した人数は約4000人。「ほかにも警察などが閲覧に来るが、長くても2 目。これほど大がかりなのは自衛隊ぐらい」と北九州市職員は話す。防衛省によると、こうしたDMを適齢者に送付する取り組みは、全国の自衛隊地方協力本部(北海道に4カ所、各都府県にlカ所)が実施。開始時期や送付総数、総費用は「分からない」とする一方、DM送付を「重要な仕事」と位置づけ継続する方針という。

同省は自衛官採用に当たっては学科や身体検査などの採用試験を実施。応募者が多いほど、より能力の高い人材を選べるため、応募者につながるDM送付は欠かせないという。

ただ、人材確保で競合する民間企業には、DM発送目的での台帳閲覧は認められていない。」

(『安保法制の正体 「この道」で日本は平和になるのか』 西日本新聞取材班)

だが、アメリカでは大学進学のために軍隊に行き、戦場に行くという報告がいくつもあります。大学費用を出せない人たちが軍隊に行かざるを得なくなっているという。この不合理を日本でもやっていくのでしょうか。


by kibouh1 | 2016-05-29 05:40 | 平和を | Comments(0)

年休支給年齢引き上げは

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コンビニのATMを利用した詐欺があり14億円の損害が出ているという。いくら安全だといっても保障できるものではないことを証明しています。マイナンバーについても不安がよぎります。

さて、年金の動きです。

「くらしの明日:私の社会保障論 支給年齢引き上げ論議=宮武剛

毎日新聞20150506

◇若者直撃、年金減額 目白大大学院客員教授・宮武剛

 年金の支給は基本的に65歳からである。ただし、国民、厚生年金ともに60~70歳間で自由に受給開始時期を選べる。

 65歳時の支給額を基準に、早取り(繰り上げ)は1カ月0・5%ずつ減額、遅取り(繰り下げ)は同0・7%ずつ増額される。平均寿命までの受給総額は変わらない。65歳は受給開始の、いわば「基準年齢」である。

 この年齢を「67~68歳へ引き上げよ」との大合唱が始まった。だが、どんな影響と効果があるのか。まず2004年改正で大きく変わった制度をおさらいしよう。

 最大のポイントは保険料の上限を定めたこと。厚生年金は17年度で年収の18・3%(労使折半)、国民年金は1万6900円(04年度価格)で固定。そのため年金の給付財源は一定の枠内でほぼ固定される。積立金の運用益も織り込み済み。賃金上昇で保険料収入が増えても、賃金連動で年金額も上がり収支均衡だ。

 つまり年金制度は、一定枠の財源を世代別に、どう配分するか、という仕組みに変わった。そこで、若い世代への配分財源を残すため受給者を含め給付を抑え込む「マクロ経済スライド」が導入された。

 従来は新規受給時には賃金上昇に応じ、受給中は物価上昇に応じ年金額を引き上げた。これを改め、少子化に伴う支え手の減少と長命化による受給の長期化を勘案し、本来の上乗せ分から約1%を差し引く。だが、賃金や物価の低迷で発動は遅れに遅れ、6月支給(4、5月分)から実施される。

 この給付抑制策は数十年も続き、給付水準は次第に下がる。経済成長や労働力率が順調に伸びても、厚生年金は現在の所得代替率62・7%が50%に落ち込む(現役の手取り賃金に対するモデル年金額の割合)。特に国民年金の加入者は最終的に基礎年金が実質3割減に陥り、生活費や医療・介護の負担分の捻出さえ難しくなる。

(略)

 確かに主要国は軒並み67~68歳へ移行を決めた。しかし、保険料の固定や給付の自動抑制を図るのは日本、スウェーデンなどだけで、この違いを軽視・無視すると間違う。

 財源が一定枠にとどまる中で、67~68歳へ支給を引き延ばしても、浮いた財源は全体の給付水準の落ち込みを防ぐために広く薄く配分される(所得代替率の引き上げ)。年金財政自体が好転するわけではない。

 しかも、支給引き延ばしを受給中の人々に適用できるわけがない。より若い世代だけが支給のお預けとそれに伴う年金減額の対象にされる。つまり若い世代はマクロ経済スライドに加え、二重の年金減額に直撃されるのだ。制度を正確に把握して、安定策や強化策を考えたい。」

若い人の将来への不安が高まるばかりです。


by kibouh1 | 2016-05-28 06:22 | 社会保障 | Comments(0)

震災アレコレ

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耐震補助改修費高額、高齢者二の足 先行自治体も活用低迷

 耐震改修補助制度は、佐賀県で導入自治体がゼロと地域ごとのばらつきが激しい上、先行している自治体でも十分に活用されているとは言い難い。建築基準法の新耐震基準導入(1981年6月)以前に建てられた住宅で暮らす多くの高齢者にとって高額な耐震改修費がネックとなり、二の足を踏んでいるケースが目立つからだ。

 「老い先は短いので」。宮崎市の築40年の木造住宅で独り暮らしの女性(75)は耐震改修に踏み切れないでいる。補助を受けても100万円近い手出しは必要で、年金生活の身には大きな額だ。南海トラフ巨大地震が今後30年以内に起きる確率は70%との試算もある中「怖いけど、どうせなら趣味にお金を掛けたい」。(以下略)2016/05/23 西日本新聞」

お年寄りにとって耐震化を優先することはなかなか難しいような気がします。

「論説委員の目 江戸の鯰と平成のくまモン  20160522 西日本新聞

 復興を目指してメラメラと闘志を燃やす。子どもを励まし、「頑張るぞ!」と拳を突き上げる…。被災地を激励するくまモンの多彩なイラストが、続々と登場している。

 プロの漫画家による力作もあれば、子どものかわいい絵もある。どのイラストを見ても胸がぽっと温かくなる。

 安政2(1855)年10月2日、江戸の街を大地震が襲った。直後から「鯰(なまず)の化け物」を主役にしたユーモラスな版画が大量に出回る。地下で大ナマズが暴れるから、地震が起きるという民間伝承を踏まえた大衆画である。

 その全容を、オランダの文化人類学者アウエハントによる大著「鯰絵」(岩波文庫)で知ることができる。

 神々や庶民がナマズと対決し、懲らしめる絵が人気を集めたようだ。被災者を力づける点では、くまモンの絵に通じるかもしれない。()

 厳しい避難生活を送る被災者の多くは、全国からの支援に対する感謝の言葉を口にした。だが、声や表情から伝わってきたのは、途方もない疲労感と喪失感、見通せない将来への不安である。

 過去の震災対応の反省から「人間の復興」が叫ばれるようになった。被災者の生活再建を図り、憲法が保障する権利の回復を最優先する復興である。地域コミュニティーの再生もそこに含まれよう。

 復興の主体はあくまで被災者だ。国や自治体の施策がその視点を欠けば、被災地には失望や怒りが広がるだろう。イラストの中には被災者とともに涙を流すくまモンの姿もあった。怒ったくまモンは見たくない。」

被災地自治体職員の疲弊が伝えられています。地方公務員の実態を知る機会だとも言えます。


by kibouh1 | 2016-05-27 05:18 | 震災 | Comments(0)

時計は

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腕時計は社会人の必需品だった時代に働きだしました。高卒後働きだして、1年ぐらいしてオメガ制の腕時計を買ったら、もったいないと同僚から非難されました。その後は、セイコーだったのですが、ケイタイが出るようになり、腕時計を手放しました。しかし、その後、リハビリ兼ねてのウォーキングでは歩数計を利用していましたが、ケイタイで時間を確認するのが面倒になり、万歩計と時計が一体型のものにして5年ほどになります。「アップルウォッチ」という先端にはとても手が出ないし、使いこなせないでしょう。

「(文化の扉)進化刻む腕時計 機能の変化に「哲学」を見る2016522日朝日新聞

 腕に巻き、時刻を見るだけなら同じなのに、フランク三浦は4千~6千円、フランク・ミュラーは多くが100万円超。なぜこれほど値段が異なるのでしょうか。腕時計にはそれぞれに込められた「哲学」があり、「ウォッチ」は今も進化しています。

 「月差」わずか±5秒。その精度が世界の時計産業を揺るがす「クオーツショック」を引き起こした。1969年、セイコーが「クオーツアストロン」を発売。電池で水晶(クオーツ)を振動させ、揺れの回数で時を計る世界初の腕時計だった。

 腕時計は、腕を振ると自然にゼンマイが巻き上がる「自動巻き」などの機械式が主流で、「日差」数十秒が当たり前だった。セイコーがさきがけになったクオーツは、スイス時計を駆逐していく。

 スイス時計協会によると、同国内の時計産業の従業員数は70年に9万人ほどだったが、84年には3万人余りにまで減少したという。()

 ある時計専門誌編集長は「スイスは、貴族向けに趣味性の高い時計を作ってきた。日本の時計は、近代化して皆が正確な時間を知るために広まった。強みが違う」。

 かつて時計産業の勢力図を一変させた精度は、究極にまで高まっている。衛星からの電波を受信して現地時間に合わせることができるGPS時計では、カシオ、シチズン、セイコーの日本勢が世界をリードする。それぞれが「世界初」の技術や性能を開発し、進化を続けている。

 日本時計協会の久保一郎事業部長は「腕時計を意味する名詞『ウォッチ』の意味が変化している」と話す。2015年、メールや通話ができる「アップルウォッチ」が発売。健康管理にカード決済、登山ルートを記録する時計も誕生した。これらはスマートウォッチと呼ばれ、時間計測は主機能ではない。「同じウォッチでも、多様な機能を『見る』という動詞の意味になっていると思います」(高津祐典)(以下略)


by kibouh1 | 2016-05-26 05:03 | 社会 | Comments(0)

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心配したことが現実になっています。

「連続震度7の衝撃<4>職員忙殺、公助に限界 20160516日西日本新聞

 着の身着のまま避難する人の間を縫い、自転車を走らせた。停電の中、ライトが頼り。4月16日未明、熊本県企業立地課の内藤美恵審議員は職場に急いだ。

 同僚たちも家族を残し、次々と登庁。全国の企業から相次ぐ救援物資提供の申し出を受け付けた。一方で-。県の企業誘致サイトを、課員たちが気にし始めた。「熊本地域は安全地帯」。日本地図に大地震発生地点を表示し、東日本を「危険地帯」と強調。熊本は「120年間発生していない」とPRしていたのだ。()

 阿蘇大橋崩落など被害が深刻だった南阿蘇村。職員たちは避難所で顔をゆがめ、すし詰めの村民と向き合った。犬もいた。「炊き出しは?」「コンタクトレンズ洗浄用の水を」…。村備蓄の1500人、3食分の乾パンはすぐ尽きた。ハンドマイクは「うるさい」と怒鳴られ、やめれば「聞こえん」と大声が上がる。村民約1万2千人のうち職員は約140人。必死に笑顔をつくったジャージー姿の女性職員は「みんな家族を置き去りにして働いている。人手が欲しい」と絞り出した。男性職員の役目はトイレ用の水くみなど力仕事。4人で500リットルのタンクを2個用意し、ポンプ車でため池との間を5往復した若手の目は血走っていた。「ずっと寝ていない」-。

 「家に戻れる方はお米の寄付を」。息苦しさを振り払ったのは、そんな行政防災無線の呼び掛けに応じた村民たちの善意だ。200キロ近くの米や新鮮なアスパラガスなどの野菜が続々と集まり、急場をしのいだ。(以下略)2016/05/16 西日本新聞朝刊=」

ボランティアも手助けになりますが、社協などが受け入れなどの力になっても、全体的な復興の仕事は自治体職員に依存しなければ前に進みません。政府が公務員攻撃をして国民の政治への不満をそらしてきたことが国民に根付いています。そのことを国民が自覚しない限り、本当の力を発揮していくことはムリです。公務員でも、障害者もいれば、持病を抱える人も、介護をしている人もいるでしょう。その身近な住民同士が分かり合えないといけないのではないか。


by kibouh1 | 2016-05-24 05:00 | 震災 | Comments(0)

誇れる憲法だから

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「安保法反対のグループ 約1200万人の署名提出519 NHK

安全保障関連法に反対する市民グループは19日夜、国会前で集会を開き、「法律の廃止を求める、およそ1200万人分の署名を集めた」と発表し、野党の党首らに署名を手渡したことを報告しました。集会は19日夜、国会前で開かれ、主催者の発表で、およそ4800人が集まりました。

この中では「安全保障関連法の廃止を求める署名が、これまでにおよそ1200万人分に上った」と発表するとともに19日、野党の党首らに署名を手渡したことを報告しました。署名は今後、衆参両院の議長などに宛てて提出されるということです。集会に参加した人たちはプラカードを掲げるなどして、「戦争法は必ず廃止」などと声を上げていました。(以下略)

閣議決定で憲法解釈を変える。それに公明党も賛成した。安保法で賛成したとしても、国会でなく閣議で決めるというのはルール違反です。

「窓をあけるということ『皇太子の窓』

結婚五十年目の区切りの日に、天皇が会見で感慨をもって引かれた、かつて婚約がきまった際に詠まれた歌。その歌を結んでいたのが、窓という言葉です。

窓ほど、いまの天皇に親しく結びついて記憶される象徴的な言葉はないかもしれません。『皇太子の窓』という忘れがたい一冊の本があります。昭和の敗戦直後、いまの天皇が少年だったとき、皇太子の家庭教師としてアメリカから呼ばれたヴァイニング夫人がのちに著して、若い皇太子と共にした日々をとおして、二十世紀前半の世界を巻き込んだ無謀な戦争に敗れた日本のすがたを、世界に生き生きと伝え、ひろく読まれたのが、『皇太子の窓』でした。

「私が日本に来たいと思った主な理由は、日本がその新憲法に、国策遂行の手段として戦争を放棄したことであります。これは世界全体が進まなければならない方向への大きな一歩です」「歴史上最も破壊的であった戦争が終って、もう二年余にもなりますが、私どもはまだ平和を獲得したのではありません(『日本での4ヶ年』)(一部引用)」(『小さな本の大きな世界』 長田弘) 


by kibouh1 | 2016-05-23 05:36 | 憲法 | Comments(0)

本当のことを知りたい

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「子育ての環境、北九州市1位 東京のNPO調査 5年連続で 15年度政令市」だという。小児医療の充実などが要因と伝えています。そういえば女優の杏さんは双子出産だそうでおめでたいと同時に育児に追われるのでしょうか。

最近納得できないニュースが、都知事や元プロ野球選手の問題は伝えますが、オリンピック送金疑惑についてほとんど伝えられません。

JOCの説明では、使途については分からないというように報道されていた。本当だろうかと思いました。分からないのに公金を送るということがありえないからです。

「(声)五輪招致委の送金、真相解明を 48歳 2016518日朝日新聞

 2020年東京五輪招致で不正が行われた可能性があるとして、フランスの検察当局が捜査しているという。招致委員会は、フランス当局の発表を受け、当時の国際オリンピック委員会(IOC)委員の息子が深く関わった会社に、約2億3千万円を支払ったことは認めた。コンサルタント業務への正当な対価だと主張している。招致費には東京都民の税金も使われているのだから、厳しく真相解明すべきだ。

 我々が仕事で国などの補助金を受けようと思えば、まず公募による選考を受けなければならない。選ばれたら、使ったお金について1円単位まで領収書や人件費算出のための日報を提出させられる。金額の正当性についても、説明が求められる。公金はそれほど厳格に運用されているのである。

 今回の金銭授受も、本当に正当なのか徹底的に調査すべきだ。業務委託先はどのように決まったのか。当時のIOC委員の関係先であると招致委員会は知っていたのか。また、金額はなぜ2億円余だったのか。支払われたお金の使途に問題はなかったのか。

 きちんと調べて明らかにしなければ、国民は納得しない。」

なんかいろんな策謀があるようで嫌な気分のオリンピックになりそうです。


by kibouh1 | 2016-05-21 05:32 | マスコミ | Comments(0)

戦争体験の話

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新聞の投稿欄からです。

ビルマといえば映画「ビルマの竪琴」を思い出します。最初の作品です。

「老僧の施しに命を救われた 94

昭和203月、ビルマ(現ミャンマー)中部のメイクテーラ会戦で、敵戦車群の攻撃に惨敗し、シッタンヘ撤退中、私はマラリアと黄疸を併発した。野戦病院も撤退し、つえを頼りに歩いた。遅々として進まず、ついにひとりぼっちになった。物もなくなり、途方に暮れた。戦災でどの集落も焼け、犬一匹見当たらない。疲労困憊して、座りこんでしまった。

ふと見ると、集落の外れに小さなパゴダが見えた。中で休もうと入り口に近づくと、老僧がひとり、お経を唱えていた。 私は食べ物はないかと片言のビルマ語で尋ねた。老僧はバナナの葉に包んだご飯と塩辛を恵んでくれた。私は餓鬼のようにむさぼり食べた。丁寧にお礼を言い、立ち去ろうとすると、少し休んでいけと言う。ご飯を食べたので、少し元気が出た。その後、何とかシッタンに到着した。

九死に一生を得て復員し時折当時を思い出して心の中で老僧の施しに感謝している。」(2016226日西日本新聞)

特攻に若い経験のない人が狩り出されたのは、ベテランや中核は育成費用などもかかっているし、人材保護もあって若い人が命ぜられたというのを読んだ記憶があります。そうしたことも伝えてもらいたい。

特攻見送った 痛ましい記憶 89

あのおぞましい戦争で、前途ある若者たちは学業半ばにして、選択の余地のない重い死の十字架を担わされ、まなじりを決して激烈な戦火の中に突入していったあまりにも痛ましい。特攻出撃して、エンジンの不調などでやむなく引き返してきた隊員たちが叱責され、過酷にも軟禁状態に置かれたという「振武寮秘話」を読み、がくぜんとした。

20余年前、図らずも「月光の夏」を映画で見る機会があった。若い2人の特攻隊員は「月光」(ベートーベン)の曲を小学生たちの前で演奏してから、出撃していった。あの夏の日のピアノの響きは、痛切な思い出とじて 私の胸に刻み込まれた。かつて私も、出撃していく特攻隊を見送った日のこと、そして私の手にした桜の花を望まれて機上の3 にささげたことがよみがえり、愛惜の涙を禁じえない」(同前)


by kibouh1 | 2016-05-19 05:52 | 平和を | Comments(0)