気ままなつぶやきです


by kibouh1

<   2015年 10月 ( 32 )   > この月の画像一覧

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「医師、歯科医師147人知事支援へ 国に反発「傍観できない」

「普天間基地廃止・辺野古新基地反対・命を守る医師連絡会」と「翁長雄志さんを支援する『医療者の会』」のメンバーが27日、県庁で会見し、翁長知事の埋め立て承認取り消しを支持し、新基地建設断念のため闘うことを誓う声明を発表した。連絡会と医療者の会が呼び掛け、県内の医師・歯科医師147人が賛同している。

 会見で連絡会の平安山英盛代表は「命を守る立場にいる私たちは医師として、命を奪う戦争につながる新基地の建設を傍観しているわけにはいかない」と話した。【琉球新報電子版】

沖縄は自ら望んだわけでもない基地を抱えていかなければならないのでしょうか。

「『岸信介氏を傘下に納めた』

元国務次官補 浮かぶ米の冷戦戦略

憲法改正を目指し、対米自立を望んだ岸信介元首相は、首相に就任する前から 米国の冷戦戦略に取り込まれていた。そんな認識示す文書を、日米外交に深く携わった元米国務次官が残しでいた。孫の安倍首相の政治姿勢にも強い影響を与えた岸氏だが、背景を探ると、もう一つの顔が浮かび上がった。(ワシントン山崎健〉

文書はワシントン近郊の 、ジョージタウン大図書館にあった。戦前戦後に在日米大使館で勤務し、1960 年の日米安保条約改定時には極東担当の国務次官補を務めたグラハム・パーーソンズ氏の文書コレタション。パーソンズ氏は、退官後の80年代前半に書いたとみられる未刊行の自伝で、岸氏に関してこう語っていた。

「戦犯(容疑者) 岸氏は50年代半ば、大使館のわれわれによって傘下に納まった。その後、(自民) 党総裁になり、信頼に足る忠実な協力者となった」 (「傘下に納まった」の原文は「cultivat e」。和訳は文書を見つけたオーストラリア国立大の テッサ・モーリス・スズキ教授と吉見俊哉東犬大学院教授の共著「天皇とアメリカ」H2010年刊から)63年の同僚宛ての手紙にも「われわれは54年、岸を傘下に納めた」。そこには有望な政治家と見なす岸氏

を取り込んだ、との視点が鮮明にうかがえる。55年の保守合同で自民党が誕生する直前の混乱期。保守派リーダーの一人だった岸氏は、米国とどうつながっていたのだろうか。」(

2015924日西日本新聞)

アメリカの戦術が広がっていたのですね。


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by kibouh1 | 2015-10-31 06:19 | 平和を | Comments(0)

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たらい回し。

「辺野古承認取り消しの効力停止へ 国交相27日にも表明20151027日西日本新聞

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、石井啓一国土交通相は26日、辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長雄志県知事の処分の効力を停止する方針を固めた。27日にも公表する。移設を進めないと、普天間飛行場の危険性除去が遅れるなど重大な損害が生じるとする防衛省沖縄防衛局の主張を妥当と判断した。

 効力停止を受け、工事主体の防衛局は中断している移設作業を再開、近く本体工事に着手する構え。一方、沖縄県は、第三者機関の「国地方係争処理委員会」に不服審査を申し出る方針だ。」

自分の都合の良いように解釈して法を運用する強権政治。集団的自衛権でさえ勝手に憲法解釈して。この国は民主主義国家ではなくなった。

他国のことを言えるのだろうか。

「デスク日記

 バスの席を激しく奪い合い、観光地では人を押しのけて撮影場所を確保。対向車が来るのも構わず車線をはみ出し、前の車を強引に追い越す…。中国・四川省ではあきれ返る光景の連続だった。

 道路の異常による片側交互通行を待てず、車列を追い越そうとして、対向車と鉢合わせになり双方が動けなくなったシーンも数回見た。中国人ガイドは「広大な国土の覇権争いと、外からの侵略の歴史の中で、この国では待つ、譲るのは損という考えが根付いてしまった」と認める。

 だが、7年前の四川大地震の際は違ったという。がれきに埋まった被災者を協力して助け出し、細い橋を整然と渡って避難した。にわかに信じ難い話だったが、当時の写真や映像を見て納得した。

 考えてみると、回るテーブルで食べ物を取り分けて食事する文化は、譲り合う心がなければ根付かないはず。一面的な見方の危うさを痛感した旅となった。 (吉井剛)=2015/10/26 西日本新聞朝刊=」


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by kibouh1 | 2015-10-30 06:04 | 沖縄 | Comments(0)

沖縄の負担は

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「NPO、資金確保に悩む 薄れる関心、減る寄付・助成 東日本大震災5年目

20151026日朝日新聞

 東日本大震災の被災地で生まれたNPO法人が、財政難に悩んでいる。震災後、4年間で岩手、宮城、福島の3県で739法人が新たにでき、行政サービスの届かない分野で課題の解決に取り組んできた。だが、震災への関心は薄れ、寄付や助成が減っている。支援活動を続けるため、模索が続いている。

 ■送迎支援、赤字1000万円見込み

 宮城県石巻市郊外で暮らす女性(74)は週に3日、人工透析を受けるため約9キロ離れた病院に通う。

 両足が不自由で、市内のNPO法人「移動支援Rera(レラ)」に2キロごと100円の「協力金」を支払い、車いすのまま乗れるリフト付き車両による送迎サービスを受けている。片道500円で、タクシーの約5分の1で済む。「本当に助かっています」と話す。

 ただ、Reraの財政は厳しい。来年度も利用できるかどうかわからない。

 Reraは震災の翌月、札幌市のNPO法人が中心となって設立した。津波でマイカーを失った人の送迎を始め、全国から寄贈された車両8台で、高齢者や障害者ら自力で移動するのが難しい約400人の外出を支えている。これまでの送迎人数はのべ9万4千人を超え、新たに利用を希望する人も増えている。

 しかし、2年前と比べ、寄付金は半分以下、企業などからの助成金は8割ほどに減りそうだ。送迎を担う有償ボランティアの報酬を1日3千~4千円に抑えるなど節約に努めるが、今年度は1千万円ほど赤字を見込んでいる。

 このままでは年度末には繰越金も底をつく。送迎の協力金を一律700円に引き上げても、多額の赤字は解消できない。村島弘子代表(40)は「車の台数を減らすことも含め、あらゆる可能性を考えたい」。 活動資金の確保に、多くの支援団体が悩んでいる。(以下略)」

きょうされんという昔の障害者作業所の団体では年末にカレンダーを販売していますが、今ではカレンダーはどこからも立派なものが出ていて苦戦しています、そこの機関誌「TOMO2015.10」に次のような記事がありました。

「JDサマースクール2015

「戦後70年と障害者」

わたしたちには聴こえます!

戦争の足音が・・・

沖縄戦の悲惨さと教訓

.基調講演では、蟻塚亮二氏(精神科医・メンタルクリニックなごみ院長)より「沖縄戦の心の傷がいまに問うもの」というテーマでお話しいただきました。終戦を迎えた815日は、8割の住民は捕虜収容所に入れられている状況で、沖縄の人々にとっては終戦ではありませんでした。トラックで各地の捕虜収容所に運ばれ、多くの方がマラリアで亡くなったのです。沖縄戦の教訓として、蟻塚氏は 2点を示されました。ひとつは 「ぬちどぅ宝=命こそ宝」死んだらいけないという考え方です。もう ひとつは、「軍隊は住民を守らない」ということです。沖縄戦での死者は、軍隊よりも住民の方が多かったのです。住民は米軍が恐ろしいということを日本軍から叩き込まれました。そのうえ、「生きて捕虜となるなかれ」と教わってきたことから、米軍に捕まったら死ななければならないと考えていたのです。軍隊から役場に手榴弾が渡され、住民に配られました。手榴弾が雨に濡れて炸裂しないと、長男がカミソリや石で母親を殺し、兄弟を殺すという現実がありました。

前にも後ろにも進むこと気ができず、生きることが怖い心理状態だったのです。蟻塚氏によると、精神疾患の心理状態に近かったのではないかということでした。沖縄では、戦後15年で精神疾患が多発し、統合失調症の発症率は本土の3.4に上るそうです。(以下略)」

沖縄では、今も貧困率が高く、基地問題の背景にというか、基地があるからか分かりませんが、大変な負担を背負っています。


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by kibouh1 | 2015-10-29 06:38 | 沖縄 | Comments(0)

隣国との関係をどうする

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戦争体験特集からです。

「兵器運ぶため 農耕馬も犠牲 80

9月の本紙に「軍馬よ安らかに眠れ」という見出しのコラムを見つけました。子どものころ、母の里に行くと馬がいました。もちろん、農耕馬でした。祖父は特に、馬をかわいがっておりました。豆腐を買ってくると馬小屋ヘ行き、手のひらに載せた豆腐を馬に食べさせていました。ある日突然、馬がいなくなりました。叔父に聞くと「戦争に行った」と。びっくりしました。戦場で兵器を載せた車両を引くためだと言っていました。新聞によると、内地から運ばれた馬たちは用済みになると、ほとんど殺されてしまったとあります。

殺された馬たちが安らかに眠るようにと、慰霊碑が建てられたとありました。

のどかな農家で明け暮れていた馬たちが戦場ヘ連れ出され、用済みとなれば殺される。子どものとき見たあの馬も、戦争という出来事の中で死んでしまったのでしょう。」(20151023日西日本新聞)

NHKの海外情報番組で、中国の南沙諸島への進出の伝え方は、いかに中国が不当なのかは強調しましたが、解決の方法についての冷静な視点がありませんでした。反中国を煽っているように思えました。韓国とはどうなのでしょうか。

次のような愚かな行為を誘発しかねない。

「大牟田市の徴用慰霊碑に落書き 黒い塗料で「うそ!!」

 福岡県大牟田市甘木の甘木公園にある「徴用犠牲者慰霊碑」に、黒い塗料のようなものが吹き付けられていたことが23日、分かった。

 慰霊碑は、在日韓国・朝鮮人らでつくる団体「在日コリア大牟田」が、第2次大戦中に市内の三井三池炭鉱などで過酷な労働を強いられ亡くなった朝鮮半島の人たちを慰霊するために建てた。同団体が被害を確認し、大牟田署に届け出た。

 同団体によると、白い文字で刻まれた犠牲者への慰めの言葉などを塗りつぶすように黒い塗料がかけられ、「うそ!!」と読める文字も吹き付けられていた。旭日旗のシールも貼られていた。

 慰霊碑は、市が用地を無償提供し、企業が建設費を負担して1995年に建立された。毎年4月、碑の前で慰霊祭が営まれている。

 同団体の禹判根(ウ・パングン)代表(77)は「慰霊碑は子どもや孫よりも大事にしている。自分の体を傷つけられたこと以上に心が痛む」と憤りをあらわにした。=2015/10/24 西日本新聞朝刊=」

こういう意見もありました。

「互いを軽視する隣国でいいのか

実りある日韓首脳会談に期待

パク・チョルヒ ソウル大学国際大学院教授

来月初めに開催が予想される 日中韓首脳会談に合わせて行われる予定の、日韓首脳会談に関心が集まっている。冷戦終結後、日韓は東アジアにおいて民主主義と市場経済に共通の価値を置く仲間として認識されてきた。日韓を東アジアの「双子の国」と称する学者までいる。日韓はさまざまな懸案にもかかわらず相手を尊重し、政権が代われば真っ先に首脳会談を開いてきた。しかし、この慣例は最近揺らいでいる。慰安婦問題など難解な懸案が横たわるのも事実だが、根底には互いを軽視する風潮があるのではないか。

韓国では、日本が見習うべき 先進国であるという潜在意識は 弱まりつつある。両国が垂直的な経済依存関係にあった時代は、韓国にとって日本は妥協せざるを得ない相手であった。しかし、国際的競争力の伸長とともに、韓国の人々は日本に依存する必要性を見いださなくなった。いまだに多くの韓国企業が日本からの部品、素材、技術に頼っている現実とかけ離れているのだがーまた、韓国人の多くは中国の浮上を経済的機会と考えている。韓国製品が大量に売れている中国と比べ、日本の市場は閉ざされていると感じている。韓国を訪れる中国人観光客数も著しく増えており、日本の存在感が薄くなっている。さらに、日本に対する違和感が増幅する背景には歴史認識のずれがある。日本の良識的見解は影を潜め、一部の右派勢力があたかも日本を代表する声であるかのように伝えられている。韓国批判を繰り返す右寄りな主張に対し、親近感を持てないのは当然であろう。さらに北朝鮮の軍事的脅威への対応は、韓米同盟で十分だと考える韓国人も少なくない。韓国の安全保障に占める日本の重大な役割に対する認識が不足している。

一方、日本でも韓国軽視の風潮は高まっている。韓国は中国と肩を組み、歴史問題を盾に日本を悩ましているといった否定的な側面を強調する空気がある。日本の文化や自然、伝統に親しむ多くの韓国人の姿は見えていない。「中韓」とひとくくりにする傾向にも見られるように、韓国は中国に傾斜し、もはや日本の友好国ではないといった風評が拡散する。日韓は共に米国の同盟国で、民主主義と市場経済に立つパートナーであるという認識は後退している。(以下略)」(20151023日西日本新聞)

隣国を軽視していないか。冷静に振り返ってみても良いのでは。


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by kibouh1 | 2015-10-28 06:53 | 平和を | Comments(0)

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「入閣して一変か信念なく落胆さ  64

今回の安倍改造内閣。原発や関税引き下げの反対な ど声高らかに叫んでいた方が、入閣した途端にトーン ダウンしているようで、その信念の弱さには落胆している。私の尊敬している人物に桐野利秋がいる。幕末は「人斬半次郎」と呼ばれ、恐れられていた。明治政府では現在の防衛大臣に近い地位に出世した。しかし、大恩人で崇拝し続けた西郷隆盛が下野すると、さっさと栄光の地位を捨て去り、共に西南戦争を果敢に戦った。

最期は西郷の後を追い自刃した。地位も名誉も捨て、あるのは己の信念のみの潔さは現代にはマッチしないとはいえ、憧れを抱いた。内心では、このような政治家が現れないものかと期待しているが・・・。1億総活躍社会、女性の社会進出など理想と意気込みばかりの言葉が並んだ今回の組閣。抽象的で現実味が伴わない点で期待外れであった。」(20151017日西日本新聞)

自民党への期待はしないがいい。かつての自民党とは違う。派閥の牽制もなく、総裁に逆らうことなどできなくなっています。

1億総活躍社会」というが「国家総動員法」を思い出すとの意見がありました。政治の退廃です。


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by kibouh1 | 2015-10-27 06:19 | 平和を | Comments(0)

背中の傷痕

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新聞記者のコラムです。

「花時計

昨年の3人に続き、今年は2人の日本人がノーベル賞を受賞。会見で浮かべる少年のようなはにかんだ笑顔を見て思い出した人がいた。ご存命であれば、今回の梶田隆章さんより前に受賞したといいわれる物理学者の故戸坂洋二さんだ▽学生のとき、一度だけ戸塚さんの話を身近に聞く機会を得た。岐阜県飛騨市神岡町にある実験施設スーパーカミオカンデを案内してもらいながら、未知の素粒子ニュートリノに迫る研究の触りを簡潔に解説してもらった。本当の頭の良さを感じた▽印象に残っているのは、施設の外を指さし「ここに来て、草木や花の名前を何も知らないことに気付いてね。今少しずつ覚えているんだよ」と少年のように話してくれたこと。どんなことにも興味を持つ心を、私は持ち続けているだろうか。(飯田崇雄)」(20151023日西日本新聞)

戸塚さんのことも今回知ることができたのも良かったと思います。

同じ新聞に新聞週間での連載がありました。

「行間

「今しかない」証言を聞く

長崎総局 田村真菜実

長崎の記者たちの1年は8 9日の長崎原爆の日を中心 に過ぎる。原爆の取材では被爆者に「あの日」を思い出させるのがつらい。 7月末、「私の話なんかで いいの」と言うおばあさんの 被爆体験を聞いた。10歳で被爆。背中にひどいやけどを負って約9カ月間寝たきりだった。やけどが治ると、父親が 手を取り、歩く練習から始めたという。

やけど痕の撮影を恐る恐る頼んだ。「いいわよ」。おばあさんは服を脱ぎ、その訳を息子にも話したことがなかったという背中の傷痕を見せてくれた。

細い昔前に刻まれた傷痕にカメラを向けると、申し訳ない気持ちになった。泣かせてしまったらどうしよう。部屋 に響くシャッターの音がさらに傷つけているように思えた。同時に、どんな思いで背中を見せてくれたか、読者に伝わってほしい。念じながら数分間シャッターを切った。

「見ないとわからないでしょう。若い人は、こんな怖いことがあったことを知らないから」。脚のケロイドが引きつり、うまく歩けなかった同級生は自殺したという。「死ぬことなんてなかったのに、・・・」と涙ぐみ、それに比べたら私の苦しみなんてと言葉が途切れる。こうして何年が過ぎたのだろうと思った。写真の掲載は見送り、連載記事の中で、文章で記すだけにとどめた。(以下略)」(同前)

8月だけでなく、通年のことだと思うが、それでも8月掲載の意味があるのは当然ですが。

だが、被爆者の生存者がいなくなるのではないか。そのとき原爆をどこから取材するのか。


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by kibouh1 | 2015-10-26 06:52 | 平和を | Comments(0)

第3者とは何か

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「辺野古監視:委員3人、業者から寄付金受領 毎日新聞 20151019日 

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設計画で、同県名護市辺野古への移設工事を環境面から監視するために政府が設置した第三者委員会の委員3人が、移設事業を受注した業者から委員就任後に寄付金を受け取っていたことが分かった。違法性はなく、委員らも委員会発言への影響を否定するが、識者は「疑念を持たれかねない」と指摘している。委員会は「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境監視等委員会」。仲井真弘多(なかいま・ひろかず)前知事が2013年12月に辺野古沿岸部の埋め立てを承認した際に条件として設置を求め、防衛省が14年4月に設置した。移設事業に伴う環境面への影響について助言するのが目的。委員は13人で、うち2人は本人が、1人は大学が毎日新聞の取材に寄付金受領を認めた。(略)

 宮崎公立大の有馬晋作教授(行政学)は「委員が審査対象と何らかの利害関係が生じてはいけないのは常識。寄付金を受け取っていることが判明した以上、市民からバイアスをかけて見られても仕方がない」と話した。【下原知広、佐藤敬一】」

沖縄が苦しんでいるのに、それに関わる人たちが金銭的なやり取りをしている。道義的にもおかしいことだと思います。

利権とは別のことかもしれませんが、日米地位協定は屈辱的ではないか。

「日米地位協定の改定を求めるべき  宇都宮健児

824日未明、神奈川県相模原市中央区の米陸軍施設「相模総合補給廠」の倉庫で爆発火災が起きた。この補給廠は、在日米軍の補給基地として、生活・医療・業務用物資などの保管や車両修理などの後方支援業務を担っている。相模総合補給廠の周辺は住宅街が広がり学校や保育園も多い。周辺住民は、危険物が保管されていたのではないかと不安を抱えている。日本の消防や警察が爆発の原因などを調べようとしても、日米地位協定により米軍の施設内で捜査や調査を行なう権限はなく、米軍の裁量に委ねられている。(略)

沖縄では、2004813日に起きた沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落事故では、大学構内にもかかわらず、米軍が墜落した機体の残骸や破片の保護を理由に立ち入りを規制し、沖縄県警が求めた機体などの現場検証を拒否し、県などへ十分な説明を行なわなかった。

日米地位協定は、日米安保条約に基づいて在日米軍の法的地位を定めたものであるが、1960年の締結以来一度も改定されていない。日米地位協定では、米軍の事件・事故に関する米側の報告義務が規定されておらず、米兵らの事件・事故で米軍側が「公務中」と判断すれば、裁判権は米軍側にあると規定されている。 ドイツは、自国に駐留するNATO (北大西洋条約機構軍、実質的には米軍)に対し、自国圏内法の適用範囲を広げるため粘り強く交渉を続け、3度にわたり地位協定の改定に成功している。日本政府は、米軍を支援する安全保障法関連法案の成立を急ぐよりも、まず、日本国民の生命と安全を守り、日本の主権を確立するために、米側と日米地位協定の改定交渉を行なうべきである。」(「週刊金曜日」2015.9.04


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by kibouh1 | 2015-10-25 06:24 | 沖縄 | Comments(0)

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「離島支え覚悟の海

対馬沖漁船転覆

高い重油減る入手

ヤリイカ豊漁望み託す

長崎県対馬市の沖合などでイカ釣り漁船6隻が転覆し5人が死亡した事故。当時、海 上には大雨などの注意報が出ていたが、シーズン真っ盛りのイカ釣り漁には格好の条件 だった。対馬市は西日本有数のイカの産地。福岡市など都市圏の食卓を支え、とりわけ 対馬沖のヤリイカは高値で取引されている。燃料の高騰や後継者不足で漁業者が減る中、基幹産業を守るため、地域ぐるみで活性化に取り組む島のショックは大きい

イカ釣り漁は、漁船に備え付けた専用の電球を照らし、明かりに集まってきたイカを釣り上げる。そのため晴れよりも、月明かりが 弱い曇り空の方が多く釣れる。対馬沖は潮の流れが良く、イカの餌も豊富なために好漁場とされ、昔から漁獲量が多かったという。

ところが、島の人口減少に加え近年は集魚灯の燃料である重油が高騰。全国的に値下がりしている今も、輸送費が必要な島では10年前の2倍以上かかる。漁業者は減り続け、201

2年の対馬市のイカ漁獲量は、ピークだった1973年の2割、約5千トンにとどまっている。漁協関係者は「生活はぎりぎりで赤字も多い」と言う。危機感を持った対馬市では地域の産業を守るために関係者が連携。同市の美津島町漁協は2014年に産官学で「いかつり地域ブロジェクト」を立ち上げ、重油使用量を抑える運用などに取り組む。また、同市豊玉町では、民宿を中心に土産や料理を開発し「イカの町」をPRしてきた。

こうした中で起きた事故。この時期、対馬沖はヤリイカ釣り漁のピークだった。福岡市や関東都市圏で流通するヤリイカは、1キロあたり1500円程度と、 スルメイカの4倍以上で取引され、漁業者には大きな 収入源だ。豊玉町漁協の森田道徳業務課長(52)は「台風15号が通過した8月下旬から漁獲量が日に日に上がり、事故前日は約1トンを水揚げした船もあった」。事故後も、イカ釣り漁は続けられている。」(201595日西日本新聞)

イカも問題でしょうが、対馬の漁自体が低調になっていると聞く。外国の大型底引き網などの規制が進まず、乱獲で資源が乏しくなっているという。その対策はされず、漁業が政治問題化することもない。


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by kibouh1 | 2015-10-24 06:38 | 経済 | Comments(0)

笑いが無くなる時

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新聞の戦争体験特集からです。

先生もおらず 芋畑の草取り 80

私は当時、小学4年でした。あの戦争も緊迫度を増し、ついにわが本土まで敵機が襲うようになりました。やむなく学校も分散教育となり、先生もほとんどいなくなり、自習の毎日。天気の良い日は芋畑の草取り、雨の日は田植えの手伝いでした。夫は国民学校卒業後、軍需工場に動員され、食糧難と上司からの暴力で青春時代はなく、ただお国のためにと頑張ったと聞いております。今の政治家は戦後生まれの方ばかりで、当時の状況が分かっていないような気がします。安倍首相は総選挙が終わった途端、自民党の悲願であった憲法改正を口にされ、今回の選挙はこのことが目的であったような気がします。世界中の国が日本は戦をしない平和な国と認めています。武器輸出三原則がなくなると、どのようなことが起こるかと強く恐怖を感じます。二度とあの悲惨なことが起きないようにと常日頃から祈っております。」(2015327日西日本新聞)

「笑点」はほとんど欠かさず観ています。病から何度も復帰される歌丸師匠の奮闘に励まされますが。

「涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん朝日新聞デジタル 1019

 生まれ育った横浜市が、米軍のB29などによる大規模な空襲を受けていた。自分を育ててくれた祖母は、そこに残ったまま。「ただただうちの者がどうなったろうっていう、そんな心配ばかりでした」

 そして8月15日。歌丸さんは周りの大人たちと、ラジオから流れてくる玉音放送を聴いた。「今でも覚えていますよ。えらい暑い日でね。戦争に負けたと聞いてほっとした。しめた、横浜に帰れるって思ったんですよ」。9歳の誕生日を迎えたばかりの少年は喜んだ。

 迎えに来た祖母とともに帰った横浜は、一面焼け野原だった。歌丸さんの自宅は同市中心部、現横浜スタジアムの近くにあったが、バラックのような家の中に座ったまま、北東に山下公園、南は磯子区の八幡橋が見渡せたという。数百メートル先にある今の横浜中郵便局近くで市電が止まると、何人が降りて何人が乗るか数えることもできた。「なんにもないんだもん。それぐらいすごかった」

 戦後の貧しさの中、庶民に潤いを与えたのは、ラジオなどから聞こえてくる落語だった。「昭和の名人と言われていた師匠連中が、お客様をうわうわと笑わせていた」。週2回の落語の放送の熱心なリスナーだった歌丸さんは「これだ」とひらめき、小学4年生の頃に落語家になろうと決意。学校でまねごとをしては友人らを笑わせ、中学3年で弟子入りした。

 今や、芸歴60年以上。落語芸術協会の会長にもなった歌丸さんが「だいぶ後で気がついた」ことがある。「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」。涙や怒りはあっても、「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」と感じている。

 今の日本の政治家は「怒り顔」や「ぼやき顔」が目立ち、「油断できない」と話す歌丸さん。最近は、メディアで自身の戦争経験を語る。「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」(一部引用)」


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by kibouh1 | 2015-10-23 06:59 | 平和を | Comments(0)

日韓・日中とアメリカ

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「紋々とマブベコ

日本の富国強兵、日清日露の勝利、一等国入りを支えたのは筑豊の炭鉱である。貝島、 麻生、安川ほか、多くの炭鉱の納屋に炭鉱夫と女たちがいた。流れ者、夜逃げの子持ちの夫婦、ケツワリ者、駆け落ち者たちが地の版で働いていた。「七つ八つからカンテラ提げて、坑内さがるも親のバチ」山本作兵衛の絵は訳ありで流れ着いた男と女を優しく活写している。とくに初期の墨絵が素晴らしい。B5サイズくらいの紙に、丹精丹念に描かれている。後期の色彩画(B3サイズ)も美しいが、墨絵がどこか初々しくて、どこか幼くて稚くて、労働画なのに素朴で品がある。切り羽で働く男交の絵がある。先山の男は両肩両腕に青赤の紋々が入り、締め込みふんどし一貫だが、漂々しく二枚目に描かれている。女房だろうか、後山の女は上半身裸で乳房も露わ、「マブベコ」という小さな布を腰に巻いている。木綿のミニ腰巻である。女の肌は真っ白に美しく描かれている。男女ともに炭塵が付着していない。きっと、カンテラの光はアセチレン式ならば青白く、合油式ならば少し赤みがかって、暗闇の坑内で男女の肌を妖しく浮かび上がらせたのだろう。

見比べてみると分かるが、後の彩色画ではこの「マブベコ」が少し長く描かれている。墨絵の女の方が断然美しくなまめかしい。(以下略)」(2015717日西日本新聞)

一等国とは何か。私も安易に言葉を使うので批判できないのですが・・・。

韓国大統領に対してオバマは関係改善を求めたという。韓国にとっては譲れない部分もあるのだろう。中国との関係をどうするか。日米ともに模索の中なのか。

「皮肉な日中韓外交の結果

日韓対立は中国を利する

パク・チョルヒ ソウル大学国際大学院教授

東アジアは世界の注目を浴びる成長の中心であると同時に、勢力の変化が著しくなっている 地域でもある。日中韓の間に協力の機運がなくなったわけではないが、この数年間は葛藤の連続であった。しかし、今年に入ってからは、日中と日韓の間の葛藤が若干緩くなっているように見える。その理由はなぜだろうか。中国は習近平国家主席が登場してから日本にかなり強気の外交を展開してきた。尖閣諸島での乳繰をはじめ、海洋戦略を攻

勢的に展開する一方、歴史認識問題を切り札に安倍内閣を攻める立場を貫いてきた。安倍晋三 首相の歴史認識に疑問を持つ中国の立場からは当たり前のことかもしれない。J しかし、安倍首相は中国の脅 威と攻勢的戦略を十分活用レ て、日本の普通の国づくりを急がせた。中国の軍事的脅威を理由に日米同盟を強化しただけではなく、日本の防衛体制を積極的に再整備している。米軍の活動を助けるために集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更にも踏み切った。これは日米間の連携強化になり、結果的に中国が望んでいない日本の体制づくりにつながったわけである。中国の対日強硬策がいつのまにか安倍首相のやりたいことを助けてしまったという自覚が、日中関係を少し改善しようとする動きにつながっているとみられる。(以下略)」(同前)


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by kibouh1 | 2015-10-22 06:52 | 平和を | Comments(0)