気ままなつぶやきです


by kibouh1

2018年 10月 19日 ( 1 )

学徒動員

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2018816日西日本新聞の戦争体験記からです。

「学徒動員の母 空襲に震えた 60

母が繰り返し語った戦争の話。昭和2088日、15歳の母は女学校の学徒動員で、旧八幡市(現北九州市)にあった三菱化成の工場に来ていた。昼前、空襲警報のサイレンと同時に、B29の無差別な攻撃が始まった。いつも行く山手の防空壕まで間に合わず、工場近くの防空壕ヘ飛び込んだ。激しい焼夷弾の音に身を縮め、恐ろしさに震え、息を殺して泣いていた。

翌日、目を覆うような惨状に外出禁止となった。後で山手に避難した人々は全滅だったと知り、母は九死に一生を得たという。そして、理不尽な戦争で未来ヘつなぐレールを絶たれた人々の無念を忘れず、永遠の平和を願い生きてきた。母の思いを私は大学生の息子へつなぐ。今年88日、八幡大空 襲の日は母の一周忌。」

「父の最期思う ボルネオの旅  74

4年前、父の戦没地、ボルネオヘ戦没者慰霊の旅を した。日本遺族会のお世話になりながらガタガタ道を 4時間。目的地周辺に着いた 戦時の様子を知っている 人にやっと出会えた。丘の上に学校が見えた。「あれは、町の病院だったが日本の傷病兵であふれでいた。民家まで占領されていた」。 日本兵は、現地人の安穏とした日常まで脅かしていたのだ。その病院で、父はどんな最期であったのか。複雑な思いであった。

マレーシアと日本の国旗を立て、集まってくれた現地の人と合掌。父に届けと「故郷」を、涙、涙で合唱した。

戦後、病院は壊され学校となった。「その時、大量の白骨体が出てきたので近くの海岸に捨てた」と、衝撃的な話を聞いた。ここヘの途中、砂浜で何げなく貝と砂を拾った。「父は、ここにいるよ」と教えてくれたのか。そして父は、やっと母と共に眠ることができた。」


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by kibouh1 | 2018-10-19 06:00 | 平和を | Comments(0)