気ままなつぶやきです


by kibouh1

2018年 10月 05日 ( 1 )

語り継ぐ

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朝ドラが10月から「まんぷく」に変わりました。主人公は電話交換手として働きだします。

私が就職した1962年頃は電話交換機室があり、そこを経由してデスクの内線電話につなぐという仕組みでした。それが内線電話が外線に直接つながったのはいつのことか記憶がありません。

2018727日西日本新聞の投稿欄からです。

「魚雷の爆発音 船団は火の海  96

昭和18年の終わりころ、暁部隊で輸送船に乗っていた。日本から軍需物資を積み、帰りは南方から油を積んだ船と船団を組むことになった。3隻ずつ組んで中心にタンカーを置き、9隻船団で帰った。いつもバシー海峡では何かが起きる。その時「ドドドーン」と魚雷の爆発音がした。緊張の糸が切れてあぜんとする中に船団は火の海となった。タンカー火災は手の打ちようがない。船員こそあ}われである。その後の航海で、そのタンカーに乗っていたという船員が私たちの船で一緒になったことがあった。死にもの狂いで泳ぎ、振り向くと火が近くまで燃えていた ので、また潜って泳いだと 話していた。そんなことが できるのは船だからだろう。」

「米穀は統制化 目光らす警官  90

積戦時中の食糧不足はひどく、統制化されて各家庭にも米穀通帳による購入が日常となった。1日分を1回で食べても満腹になることのない量ではなかったかと思う。ひどかったのは昭和19年ごろになるとコーリャンなどの配給も加わり、いま思い出してもよく食べら れたなという感じだ。 そんな日々だから闇米も 流通する。主なバス停では私服の警官が張り込み、下車する客の持ち物を調べて米だったら没収し始末書を書かせていた。

ある日実家(農家)に行っていた父が、おひつを抱えて帰ってきた。聞けば米は取り締まりで没収の恐れがあるため、ご飯なら大丈夫といって母親が持たせてくれたという。その夜、家

族そろっていただいた。こんなにおいしいご飯を食べたのは久しぶりで、皆の顔も輝いていた。」


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by kibouh1 | 2018-10-05 06:42 | 平和を | Comments(0)