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気ままなつぶやきです


by kibouh1

戦争が変えた人生

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2019118日西日本新聞の戦争体験記からです。

「時代が違えば 文学希望の父  70

父は大本営直属のソ連専門の特務機関長であった。白いオオカミが出没するため「白狼」と名がついた満州(中国東北部)の国境の町を拠点としていた。終戦の数カ月前から頻繁にソ連のスパイがハルハ川を越えて侵入してきたという。ソ連が侵攻した際には、関東軍はあるラインまで後退し、特務機関が後方よりかく乱する計画だった。父は部下の現地の人々と共に作戦通りに興安嶺の山々に隠していた武器を使ってゲリラ活動に従事したという。その後は満州各地を転々と移動し、2年後に日本に帰還した。大正生まれの亡父は陸軍士官学校に進んだが、五・一五事件に関わり退学、満州に渡った。特務機関として現地に溶け込み、情報収集に当たったらしい。今は特務機関長の父しか知り得なかった戦争の真相をもっと聞いておけばよかったと後悔する。私の受験の際、父が「激動の時代でなければ士官学校ではなく、東亜同文書院(上海)に進み、中国文学や歴史を勉強したかったと言っていたのが強く印象に残っている。」

「妻子5人残し召集された父 72

生前、父がいろり端で焼酎を飲みながら、戦争をぽつりぽつり振り返りながら話していたことを思い出す。父は太平洋戦争が始まる年、7歳と5歳、2歳、5カ月の4人の子どもを残し32歳で召集され南方戦線のフィリピンヘ出征した。父は国の命令とはいえ、母が赤ん坊を含む4人の子どもを抱えて野良仕事し生活していけるだろうかかと心配と無念の思いで戦地ヘ赴いたに違いない。断腸の思いであったろう。

戦地では食糧もなく、飲まず食わずで戦ったと申していました。ただただ国の勝利を信じ、気力のみで戦った。敵は物量作戦にものをいわせ、次第にわが軍は守勢に立つようになった。口では言えなかったけど、 この戦は負けると思ったそうです。 何より悲しかったのは、 とても親しくしていた戦友が戦死したときだったと目頭を押さえていました。「戦争は失うことばかり」と怒りを込めた言葉を私は忘れない。」


by kibouh1 | 2019-03-11 06:21 | 平和を | Comments(0)