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by kibouh1

三池藩の幕末は

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筑後3藩でも 勤王の志士や新撰組などに参加した人たちがいます。三池藩が新政府軍についたことは知りませんでした。興味深く読みました。

「幕末維新 翻弄される筑後3藩大名家

三池藩 主戦派から新政府へ

柳河藩 関東出兵に悩み書簡

久留米藩 血の粛正「殉難十勇士」

幕末維新史で一般に取り上げられやすいのは、九州の諸藩では、まず薩摩、佐賀である。一方、福岡は勤皇派の大量処分で知られ、小倉は領地が戦場となり城を焼いた。外様3藩があった現在の福岡県筑後地方はどうか。さらに影が薄い。 その筑後地方の各市で現在、幕末維新展が聞かれている。各展示からは、大河ドラマなどには出てこない 時代に翻弄された大名家の姿が見えてくる。

3藩のうち、政治の中枢にいたのが三池藩。現在の大牟田市の南半分と下手渡 (福島県伊達市)に領地を 所有していた。藩主の立花種恭は文久3(1863)年に若年寄として幕府の外交や財政を支え、王政復古後の慶応4(1868)110日、老中格兼会計総裁になる。大牟田市の三池カルタ・歴史資料館に展示中の「老中日記」には若年寄に就任した文矢39

から明治2(1869)1月までの出来事が記され、三池藩の動向だけなく、幕府側から見た幕末史の貴重な資料となっている。同館の梶原伸介館長によると、種恭は主戦論者だったが、幕府の中枢にいてさまざまな情報が集まるため、情勢判断に慎重になっていく。慶応421日 に幕閣を辞した後も家臣を上京させて情報収集に務め、翌月佐幕と新政府の間で揺れる領内沈静化のために下手渡に行った後、京都に戻り新政府側につく方針を固める。梶原さんは「日記から種恭が独自に判断した」とみる。三池藩が新政府側につくと、下手渡の陣

屋は同年8月に奥羽列藩同盟の攻撃を受け焼け落ちた。(以下略)20181120日西日本新聞」


by kibouh1 | 2018-12-26 06:09 | 歴史 | Comments(0)