気ままなつぶやきです


by kibouh1

少年の夢

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2018119日西日本新聞の戦争体験記からです。

「終戦で消えた少年時代の夢   86

昭和16年に入ると、戦争が間近に迫っていることが私たち小学6年生の子どもも感じられた。山口県下関市と門司市(現北九州市)を隔てる関門海峡の両側の小高い山には、陸軍の要塞ができた。 3月に卒業し4月から中学ヘ進学する者、小学校卒業後、家業を継ぐ者と分 かれた。家事労働する者が少ないので地元工場、農業、 漁業する者が家を守る立場だった。

私は幸い兄3人が入隊前で中学ヘ進学できた。4月に入学するとミニ軍隊生活で、教育目標は職業軍人、幹部軍人養成所のようだった。基本教育は教育勅語で、軍人勅諭の教育生活だ

った。

粗衣粗食で体力と暗記力強化にまい進した。目標は高級軍人、高級役人である。苦しさに不満はなかった。理由も分からずに上級生に殴られるのは不平が出たが、毎日の生活目標があったので楽しかった。ところが、昭和20815日、敗戦国となり、私の少年時代の夢は消えた。幸か不幸か分からない。」

「波状爆撃 無残な犠牲者   88

かつて東洋一と言われた大刀洗には、飛行隊、第百部隊、憲兵隊、そして大刀洗製作所、同航空廠などの軍需工場が立ち並び、活況を呈した。このような中、昭和20327(1次〉 米軍のB29大編隊による波状爆撃に遭い、犠牲者は千人を超えたと聞く。この中には軍人、職工、女子挺身隊、学徒たちがいた。翌28日に現状を見た。まだ手つかずで、無残な犠牲者がゴロゴロ・・・地獄図というか筆舌に尽くしがたいものだった。一方、近くの立石国民学校生の下校中に爆弾が直撃し、31人の学童の爆死も見た。

このころ、米軍人捕虜が九州帝国大学(現九州大学)医学部において軍の命令による生体解剖事件もあった。戦争とはこのような敵、味方なく悲惨なものであることを後世に語り継ぎたい。」

「繰り上げ卒業、徴兵も前倒し 93

昭和16128日の大東亜(太平洋)戦争勃発後、173月卒業予定だった大学、専門学校および中等学校(商業、工業科)の学生、生徒に対し、1612月中の繰り止げ卒業が決まった。 当時、私は商業学校の生徒で、これに該当。12月下旬に繰り上げ卒業し翌17 1月に就職した。男子は数え年の20歳で徴兵検査を受け、約半年後、現役兵として徴兵され入隊となった。ところが、昭和19年から徴兵検査は1歳繰り上げられ数え年の19歳に。入隊条件も甲種および第一乙種合格に限られていたものが第二、第三乙種合格者まで拡大された。私の場合、昭和198月に徴兵検査を受け、第一乙種合格で101日、福岡部 隊に入隊となった。約2週間後、ソ満国境の牡丹江省東寧県老黒山ヘ。約2カ月後、部隊の南進に伴い台湾高雄南部海岸線防衛につき終戦を迎えた。

顧みれば、徴兵検査の1年繰り上げがなければ、軍隊経験せずに済んだだろう。」


by kibouh1 | 2018-12-22 06:59 | 平和を | Comments(0)