気ままなつぶやきです


by kibouh1

そんな馬鹿な

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128日はアメリカとの戦争に突入した日です。

「コラム 風向計  「真珠湾の不時着機」 編集委員 上別府 保慶

 佐賀県で育ち野球に親しんだ人には、22年前に公開された自主映画「人間の翼 最後のキャッチボール」を見た方がきっと多かろうと思う。1922(大正11)年、佐賀市水ケ江に生まれた伝説の速球投手、石丸進一さんの青春を描いたドラマである。

 石丸さんは佐賀商業学校のエースとして鳴らした。唐津中学に敗れて甲子園行きは逃したものの、職業野球の名古屋軍(今の中日ドラゴンズ)に入り、43(昭和18)年10月12日の対大和軍戦でノーヒットノーランを達成した。

 しかし、召集されて神風特別攻撃隊に加わり、終戦の3カ月前に鹿児島県の鹿屋基地から沖縄方面へ飛び立ち、帰らなかった。22歳だった。

 この映画の原作「消えた春 特攻に散った投手石丸進一」(河出文庫)を書いたのは石丸さんの12歳下のいとこ、牛島秀彦さんだった。佐賀高から早稲田大へ進み、出版社に勤めた後に米国留学し、ハワイに移り住んだ。他のノンフィクション作品に「真珠湾の不時着機 二人だけの戦争」(同)がある。

 41年12月8日の真珠湾攻撃に参加した航空機の搭乗員には、被弾するなどして空母に戻れない場合、ハワイ諸島西端のニイハウ島へ不時着するよう指示があった。この小島には米軍がおらず、潜水艦で収容する手はずだった。

 実際にニイハウ島へ不時着したのは、空母「飛龍」のゼロ戦搭乗員、西開地(にしかいち)重徳さん(愛媛県出身)1人だった。胴体着陸して救出を待つ中、先住ハワイ人から敵として追われ、西開地さんをかばおうと間に立った日系2世のハラダ・ヨシオさんともども、混乱の中で命を落とした。(略)

 ウメノさんは夫を失っただけでなく、国家反逆罪のぬれぎぬを着せられ、子供たちとも引き離されて3年近く獄中にいた。ハラダさんの弟もスパイの汚名をすすぐために、2世部隊に志願して欧州で戦った。真珠湾奇襲の成功を伝える大本営発表のラジオ臨時ニュースが日本中で鳴り響いたあの時、ハワイで平和に暮らしていた日系人は、どん底に突き落とされたのだ。

 著者の牛島さんは99年に64歳で病死した。太平洋戦争の開戦から77年が過ぎようとする今、多くの方にその労作を読んでいただけたらと願う。=2018/12/06付 西日本新聞朝刊=」

戦争の時代とは言え、国家反逆罪などの懲罰を受けるとは。


by kibouh1 | 2018-12-17 06:18 | 平和を | Comments(0)