気ままなつぶやきです


by kibouh1

月に叫ぶ子が

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2018928日西日本新聞の戦争体験記からです。

「月に向かって 父母を呼ぶ声 77

いとこのKは終戦の年に生まれた。父親はビルマ戦線で従軍中、間もなく戦死。お互い顔を見ることはなかった。その後、3歳のころ母親が病死。Kは両親の顔を覚えていないという。中学卒業まで私の家や叔母の家で育てられた。Kは小学生になる前「Kくんのおとうさんとおかあさんは、お月さんに住んで いるんだよ」と教えられていた。十五夜近くになると、Kは手にしたお菓子やシイや栗の実を月に向かって放り投げた。「おとうさん、おかあさん、早く帰っておいで。そこは帰ってこられないほど遠いの・・・」と叫んで周囲の大人たちの涙を誘った。中学卒業後、故郷を後にしたK。長く会う機会はないが、元気でいると風の便りに知る。Kは今年、家族とともに中秋の名月を、どういう思いで見たのだろうか。」

「終戦の前日に立ち退き命令 83

NHK連続テレビ小説「わろてんか」で、米軍の上陸に備えるため演芸小屋が立ち退きを強制された場面がありました。同様の仕打ちを受けた私には昨日のことのように思い出されます。立ち退きを命じられたのは福岡市中央区今泉5丁目で、現在の家電量販販店近く。私たち家族は父、母、小学4年の私、6歳と2歳の妹の5人。父が引っ張る荷車の後を押し、住吉木下町に転居しました。皮肉なもので、転居の日には終戦の前日。それまで鬼畜米英!とたたき込まれた私には、玉音放送はよく理解できません。戦争が終わったということだけは、両 親から説明を受け、何となく分かった思いでした。ではなぜ私たち一家は引っ越したのだろうか?という疑とむなしさだけは小さい胸に刻み込まれました。それでも幸い、この年まで命をつないでこられた私には、戦争の犠牲となった若い命が数知れないことを思うと、気の毒でなりません。私たちにできることは、このようなことが再び起きないよう為政者の言動を注視し、あるべき方向にこの日本を導いてくれる人たちを本気で支持することです。」

「中国から帰国餓死寸前の私  80

昭和16年、日本は米英に宣戦布告し太平洋戦争が勃発した。昭和13年生まれの私は旧満州で経験した。昭和10年、父は布教使として母と渡満したからである。内地は空襲、原爆と残酷な目に遭った。外地では別の恐怖を味わった。終戦間際の昭和2089日、ソ連 が不可侵条約を破って満州ヘ侵入、参戦したのだ。私たちは鉄嶺市に住んでいたが、ソ連兵が銃を持って固い玄関の戸を蹴破って押し入り、9歳の姉を連れ去ろうとした。母は腕時計を差し出し姉を守った。中国人たちは便乗して暴動を起こし、日本人宅に押し入り、略奪、強盗、襲撃した。本当に怖かった。日本の民間人の尽力でコロ島に集結。命からがら船で引き揚げてきた。餓死寸前の私は7歳だった。怖い目に遭い、今も思い出したくない。」


by kibouh1 | 2018-11-19 06:58 | 平和を | Comments(0)