気ままなつぶやきです


by kibouh1

息苦しい時代に

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「青い山脈」は青春賛歌でした。後々まで歌い継がれました。そのなかの台湾の歴史を知りました。

「コラム 風向計

まぶしき「青い山脈」 編集委員 上別府 保慶

 今は亡き映画スターの池部良さんが84歳になっていた2002年、招かれて台湾を初めて旅することになった。

 池部さんには戦時中、召集されて中国大陸で国民党軍と戦った経験がある。戦後は国民党の統治下へ移った台湾を訪れるのは「怖いような気がした」が、地元の人々に「池部さんが出た『青い山脈』を上映するので、ぜひいらっしゃい」とせがまれては断れない。台北のホテルに現れた時の表情は緊張気味だった。

 招いたのは、司馬遼太郎さんの台湾取材を世話した蔡焜燦(さいこんさん)さんら日本の統治時代に育った「日本語世代」の年配者たちだった。ホテルのホールは約600人で埋まり、「青い山脈」の上映後に池部さんが拍手を浴びて登壇した。

 池部さんは戦前の邦画界の様子や、入隊直後に部隊で見た映画が、くしくも自分の出演作で涙が止まらなかったことなどを話し、原節子さん、藤田進さん、高峰秀子さんといったスターの名を出すたびに「おお」の声が飛んだ。

 それにも増して会場がわいたのは、復員した池部さんが30代で旧制高校生を演じた1949年の「青い山脈」のこと。会場は「若く明るい歌声に」の主題歌の大合唱となったが、池部さんは「青い山脈」がなぜこれほど日本語世代の心に響くのかが、いまひとつ分からぬ風だった。

 1945年夏、日本の敗戦で台湾は日本から蒋介石の国民党政権下に移り、台湾人は「われわれが自分自身の主人になる日が来た」と喜んだ。だが始まったのは恐怖政治。流血の惨事が相次ぎ、人々は息を潜めて生きた。そこへ戦後初めて輸入された邦画が「青い山脈」だったのだ。(以下略)=2018/08/09付 西日本新聞朝刊=」

 恐怖政治に脅える人たちを励まして。歌の力の大きさを感じます。


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by kibouh1 | 2018-08-13 06:19 | 支え合う社会に | Comments(0)