気ままなつぶやきです


by kibouh1

「第6回世界のウチナーンチュ大会」

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「『こだま』通じ八十路の友達 82

便りを書くのが何より楽しみな私です。友人、知人もあきれるくらい。あの人この人、元気かしらと思う とついペンを執ります。もしかして、迷惑がられているかもと考えますが、相手から「私は電話でごめんね」と。それでOK、声を聞かせてもらい、近況を知れば、安心するのです。 平城スミ子さま。「こだま」の文章にすっかり魅せられ「こだま」氏に手紙を橋渡ししてもらって感謝感激。彼女からは見事な季節の絵手紙、もう6枚届きま した。ファイルに収めて眺める幸せを頂いています。お互いに八十路を過ぎた今、体の機能も衰え、思い 通りにならないことを嘆いても仕方がない。生命ある限り、しっかり生き彼岸にたどり着きたいものです。新聞への投稿を「終活」の一つにと言われる彼女。お顔も声も知らない。ただ「新聞大好き」「こだま大好き」の八十路からの大切な友達を得て、生きる喜びか増えました。」(2016119日西日本新聞)

80歳の世界は想像できません。

沖縄という歴史をもっと学びたいと思いました。移民した経緯などはどういうことなのでしょうか。

「赤道を挟んだ二つの島

10月下旬、沖縄を訪れた。5年に1度、世界中から沖縄系移民村集まる「第6回世界のウチナーンチュ大会」が催され、ニューカレドニアからも約60人が来るからだった。2012年、わたしは ニューカレドニア北部州初の日本語教師として赴任したのだが、それを切望し、迎え入れてくれたのが沖縄系人会の人々。わたしの訪沖は当時会長だったイヴァン・オブリとその家族に再会するためだった。イヴァンの祖父喜吉さんは、ニッケル鉱山で働くために名護からニューカレドニアに渡った。やがて鉱山を下り、北部のコーヒー農園などで働いた。現地で妻子を得たが幸せな暮らしを第2次大戦が破壊する。

娘のカナさんが14歳のとき、喜吉さんは敵国人という理由だけで憲兵に逮捕、強制収容され財産没収となった。戦後は即刻日本に強制送還。それから二度と会えなかった。カナさんの父親を慕う気持ちは強く、支援を受け、2006年、ついに出身地を探し出した。わたしはオブリ家の人々6人と喜吉さんのお墓の前にいた。内地とは異質の破風屋根がある墓だ。'沖縄で は清明祭(シーミー)に親戚中が墓に集まって供養をするという。赤道を挟んだ二つの島は、親族の繋がりか強靭であるという点が瓜二つだった。沖縄に戻った喜吉さんのは寂しそうだつたと、晩年を知る親戚の方が語った。墓の前で父親に語りかけるカナさん、柱に凭れて泣く孫のオデイルさげの姿を見守りながら、償われない戦争の罪を憎んだ。(太宰ふうこ)」(同前)


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by kibouh1 | 2016-12-31 05:56 | 沖縄 | Comments(0)