気ままなつぶやきです


by kibouh1

存在していることの価値を

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図書館でみかけた古い雑誌にこんなコラムがありました。

「福祉そっちのけの「安倍マリオ」 北村 肇

十数年前のことだし、これまでもコラムで書いたり講演で話したりしたエピソード なのだが、最近、幾度となく頭に浮かぶので、もう一度活字にしてみたいと思った。首都圏の中学校に通うダウン症のAさん は音楽が大好き。教科書を読むことは難し い。運動はできない。言葉もしゃべれない。 でも、音楽の時間になると生き生きとして、両手でリズムをとりながら体を動かす。そんなAさんはクラスの人気者だった。

ある日、Aさんの母親が担任に呼ばれた。担任の口から出た言葉は、「合唱コンクールの日は自主的に休んでほしい」だった。この学校は例年、地域の合唱コンクールでいい成績をあげていた。もしAさんが参加すれば、賞をとれないと考えたのだろう。母親は悔しさや悲しみをこらえて了承した。

いろいろな人の協力で普通学級に通うことができるようになり、学校も受け入れてくれた。そうした経緯を考えたら要請を断る ことはできなかった。この事実を級友が知ることになる。子どもたちは職員室におしかけ、担任に迫った。「なぜAさんを外すのか」「一緒に歌いた い」。結局、担任が折れ、Aさんはコンク ールの舞台にみんなと立つことができた。 どんな人間も例外なく「そこに存在している」だけで社会に貢献している。この真

実を多くの子どもは肌で感じ取っている。(以下略)」(「週刊金曜日2016.9.9

北村氏は続けて、障害者支援施設「津久井やまゆり園」殺傷事件が発生したとき、政権側からの障害者の人権尊重の強力なメッセージがあって良かったはずなのにと指摘しています。一般にはあまり知られていませんが、4月に「障害者差別解消法」が施行されたという趣旨からしても、国民に向けたメッセージがあってしかるべきではないかと思う。


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by kibouh1 | 2016-12-27 05:24 | 障害者 | Comments(0)