気ままなつぶやきです


by kibouh1

戦後の文学運動の流れとして

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戦争体験特集からです。

「祖母1人残り父帰還待った  76

私の父が何と、終戦の昭和却年815日付で召集されたことをはっきり覚えています。 残った家族は9月上旬は、自宅のあった京城から釜山の収容所に入りました。その裏山で若い兵隊さんが日本刀で竹を切りながら、大きな声で泣き叫んでいました。敗戦が悔しかったのでしょう。 9月中旬、「興安丸」に乗って、仙崎港(山口県) に引き揚げた。母と姉と妹と私。祖母は京城の家で父の帰りを待つと言って、残りました。

京城では庭に防空壕を掘り、それが遊び場になっていました。確かB291機しか飛んで来なかったと思います。

父が祖母と帰って来たのは、私たちが父の実家である今の福岡県嘉麻市で暮らしていた11月下旬でした。その後、東京、大阪、名古屋などでサラリーマン生活。父11歳、母96歳の長寿でした。」(2016527日西日本新聞)

戦後の労働者文学は戦前の輝かしい時代の遺産に押しつぶれされそうになっていのではないか。そして、九州では「サークル村」が取り上げられますが、果たしてそういう性格の活動だったかは評価が分かれるのではないか。

「風車  揚野浩さんの遺言

プロレタリア文学は戦前の社会主義革命の運動とセットになった文学ジャンルだった。 その流れは戦後の民主主義文学運動に引き継がれていくが、1970年前後、プロレタリア文学が時代の中で衣替えしたともいえる労働者文学が一時期、脚光を浴びたことがある。 その一翼を担ったのが福岡市の作家、揚野浩さんだ。揚野さんの著書『プロレタリア哀愁劇場』(74年、光風社書店刊)を久しぶりに読み返した。なぜ、その気になったのか。揚野さんは昨年1215日、75歳で亡くなった、と夫人に聞いたからだ。同書には文芸誌に掲載された「人生漫画」「F4ファントムジェット機を降ろせ」「プロレタリア競艇哀話」など連作6編が収録されている。

博多港の日雇い労働者として働き、日銭は酒と競艇に費やす主人公の姿は揚野さんの等身大といえるだ ろう。そこにはかつてのプロレタリア文学が持っていた理想や主義はなく、その日暮らしの笑いとペーソスを織り込んだ一種、破滅的な、アナーキーな文学世界だ。揚野さんは「俺の小説、どこが面白いんやろか?」と語っていたよう に、揚野ブームの終わりを本人も早々と予感していたようだ。それは労働の質の転換だといえる。労働現場 の多くは徐々に血と汗の手触り感が無くなり、中流社会の熟成とともに社会も行儀よくなっていった。それは肉体を喪失するIT社会へと続く道でもあった。

現代社会は賃金格差、非正規雇用、ブラック企業などがキーワードになっている。時代に合った新労働者文学の創出を。著作を再読しながらこれが揚野さんの遺言ではないかと思

った。」(同前)


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Commented by 闇夜のカフカ at 2016-12-22 23:32 x
こんにちは、揚野浩さんは30年前に死んでいません。今年の秋に『アルパラ男爵行状記』を上梓しました。
by kibouh1 | 2016-07-08 04:48 | 社会 | Comments(1)