気ままなつぶやきです


by kibouh1

戦争の後遺症は長く続く

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新聞の戦争体験特集からです。

「大牟田で目撃長崎きのこ雲 76

長崎に落とされた原爆を目撃した87歳の義姉の話です。彼女の実父は福岡県大牟田市の三井化学工場に勤務していた。昭和2089日の昼前、父の用事で郊外に出掛けた。 その際、長崎方面に今まで見たことがない、変わった雲を見た。大牟田から長崎までは直線距離で約60キロある。

うわさでは、米軍が落とした大型爆弾で、長崎の街や市民に大きな被害があったという。後に原爆と聞いて驚いた。そのきのこ雲は消えることなく、何時間も上空に残っていた。ただ、不思議な雲としか思わなかった。広島や長崎での原爆被害。日本は世界で再びこのような悲劇が起こらないよう努力する必要がある。先の大戦の悲惨さを知る人が少なくなっている。風化させないためにも、事実を知らせ、引き継いでいくことが大切だ。」(2016527日西日本新聞)

「米軍の機雷で 補給船大爆発  79

敗戦が色濃くなっていた昭和18年夏近い深夜のことだった。腹の底から突き上げる地響きと爆発音で、地域の大人も子どもも何事かと跳び起きた。爆弾が落ちたと思ったが、そうではなかった。玄.界島と北崎地区(現福岡市西区)の中ほどの海域で、博多港を出た補給船が米軍投下の機雷に触れ、積み荷の弾薬などが明け方まで爆発し続けたのだ。乗船の方々も亡くなったようだった。4人暮らしで幼かった 私には、戦争は恐ろしいというイメージが植えつけられた。沈没した船は戦後も「うしろ浜」に数年間、放置されていた。

遠浅の美しい砂浜だったが、船の姿が消えた後も地区の人はその海で泳がなく なった。 戦後、両親が引き揚げ、その浜にある地蔵堂へお参りして、地区の方々との出会いを楽しんでいた。両親が亡くなってからも、姉妹で年数回、お参りを続けていた。だんだん地蔵堂も寂れた「今年のお参りを最後にしよう」と姉妹で話し合った。あれから早いもので、7 となった。」(同前)

集団的自衛権行使に選挙後さらに拡大するものとみられています。ですが、40年たったベトナムでは孫たちまでに影響が出ているという。

「報道が止めたベトナム戦争

アジアの小国が超大国アメリカを破ったベトナム戦争の終結から2015430日で40年。

農民たちは防空壕に逃れたが、逃げ遅れた人が犠牲になった。乳飲み子を抱えて逃げてくる農家の 女性や、米兵から銃口を向けられておびえる子どもたちをカメラに収めた。「これが米凶の正義か。この戦争は間違っていると確信した」と振り返る。石川さんだけではない。戦禍を逃れて必死の形相で川を渡る家族を撮影しピュリツアー賞を受けた沢田教一氏、5 00人超の民衆が虐殺されたソンミ村事件を暴いたスクー :。世界中から集まったカメラマンや記者が「戦場の真実」を発信。世界規模で反戦世論が高まり、ついに米軍

は撤退する。戦争報道に詳しい立教大の門奈直樹名誉教授は「報道が止めた戦争だった」と語る。だが激戦の傷痕は深い。石川さんは、米軍が大国軍投下した枯れ葉剤の影響とみられる先天性障害児の取材を続ける。2013年にも現地のリハビリ施設を訪ね、長野や沖縄の地元紙に寄稿した。「戦後すぐに生まれた母親たちの孫の世代に影響が出始めている。あの戦争は終わっていない」(「安保法制の正体 「この道」で日本は平和になるのか」 西日本新聞取材班)


by kibouh1 | 2016-06-05 05:46 | 平和を | Comments(0)