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気ままなつぶやきです


by kibouh1

語られないもの

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「スズメおとり モズ捕まえた 66

樋口伸子氏の本紙「ことはの風景」にモズの実物を見たことがないとの文章を読んだ。モズを捕らえたことがあり、筆を執ります。昭和39年、東京五輪の時。れんがでわなを作り、まずスズメを捕獲それをおとりに、中学校近くのはげ山に箱わなを仕掛け、モズを捕まえた。暴れないよう籠に風呂敷をかぶせた。

隙間から見ると、モズは頭も目もでかい。鋭く曲がったくちばしの付け根には、黒いひげ、尾は長く、爪も長く鋭い迫力がみなぎっている。スズメが人間ならば、モズは百獣の王ライオンの貫録がある。人とライオンが対峙すれば・・・。スズメをモズの籠にそっと入れたけ恐怖で逃げ回るとの予想に反し、スズメはピーンと音がしたかのように両足を天井に向け、死んだように硬直した。シヨツク死かと外に出したら飛んで逃げた。あれから半世紀が過ぎ、はげ山は削り取られ、ニュータウンとなった。」(20151230日西日本新聞)

モズをゆっくりと見る機会は少ないですね。

西日本新聞の戦争体験特集でもこんなに大変だったというものばかりです。旧満州からの引き揚げは今のシリア難民みたいな大変さがあったと理解します。しかし、日本人が入植した地には中国人がいたのです。その人たちへの申し訳なさがほとんど語られないのも気になります。

「語られない加害の記憶

今夏、1通の手紙が読者から 届いた。差出人は、連載記事で取り上げた元BC級戦犯の中島徳美さん(享年92)と同じ名字。 封を切るのを少しためらった。 その数日前に、別の親族から「なぜ実名で記事にしたのか」と 苦情の電話を受けていたからだ。中島さんは旧陸軍中野学校卒のエリートで、終戦の5日前に 福岡市の油山で米兵捕虜を斬首し、巣鴨拘置所に収監された。私は何度も自宅を訪ね、その体験と、今も続く贖罪意識を聞き取ったが、記事になる直前に中島さんは亡くなった。

手紙は中島さんの孫の妻からだった。斬首事件のことも初めて知ったといい、「じいちゃん

が生きた証しであるから、息子たちにそのままの事実を話そうと思います」。中島さんは自分の手で人を秘めた事実を、家族にも隠して過ごしてきた。晩年に取材に応じてくれた思いが伝わったようで、素直にうれしかった。この連載に合わせ、取材班は「戦争の加害」をテーマに特集を作ろうと企画していた。しかし、取材対象者が十分に見つからず、断念せざるを得なかった。昨年春から戦争体験者の取材を続けてきて感じるのは、戦争

の加害の側面を語れる人の少なさだ。戦場を知る人は若くても80代後半。もちろん、年齢の問題だけでなく、語れないことや語りたくないことを抱える人もいたのかもしれない。

東南アジアのジャングルで飢餓に苦しんだ人は、仲間から差し出された人肉を「断った」と言い、中国戦線に赴いた人は、暴行や略奪などを「見なかった」と言った。引き揚げ者は、暮らした旧満州の家や畑がもともと誰の物だったかを知らなかった。戦争の多面性を市井の人の声から描こうと努めてきたが、今なお近隣諸国との聞に残るしこりの源泉には、まったく行き着かなかったように思う。「被害の記憶」が貴重であることは間違いない。ただ、つなぐべき証言は他にももっとあったはずだ、という思いは消えない。

中島さんは取材中、刀を握るように両手に力を入れ、そのまますっと斜め下に引く動作を見せた。「手応えがものすごかったんですよ。首の皮をシュッと斬るときの、何とも言えない感覚が」。その言葉は今も耳に残っている。(森井徹)(同前)


by kibouh1 | 2016-01-18 05:06 | 平和を | Comments(0)