気ままなつぶやきです


by kibouh1

お知らせ


お知らせの次からが投稿です
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# by kibouh1 | 2018-12-31 09:17 | Comments(0)

理科系の「徴兵猶予」が

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理系と文系では徴兵に差がありました。

「名大・旧制高「クラス日誌」公開 理系生徒、戦時の本音 毎日新聞2018814

 名古屋大学の前身・旧制第八高等学校(八高)の理科系生徒が学徒出陣など戦時中の出来事や思いを記した「クラス日誌」が、名古屋市千種区の名大の大学文書資料室で公開されている。戦地に赴く文科系生徒への気遣いや戦局の冷静な分析がつづられ、資料室の担当者は「自由に発言できなかった時代の若者の本音がうかがえる貴重な史料」と話す。(略)

学徒出陣を巡っては、東条内閣による「学生の徴兵猶予の停止」が伝えられた43年9月22日、「来るべきものは竟(つい)に来た。今日は我々にとつて実に(太平洋戦争開戦の41年)十二月八日である」との記載がある。

理科系生徒は兵器研究などを理由に徴兵が猶予された。11月25日の記述では、文科系クラスに出征を控えた親友がいるらしい生徒が「勉学を中止して 客観的に之(これ)を見れば誠に気の毒である<中略>便所の中に“理科生ヨ 後ヲタノム”と記してあつた<中略>それを涙なくして読み得なかつた」と複雑な心情を吐露している。

 八高卒業生らの記念誌などで、当時の理科系と文科系の生徒間に「溝」があったと記されている。日誌でも「(理科系は)余りにも無関心であるのではなからうか」「文科の生徒に対して相済まぬと思ふ<中略>(自分は)今直ちに前線に立つて働ける丈の信念と勇気があるだらうか」と書かれている。(以下略)」

 

若い命が奪われました。敗戦の1年前までに亡くなった兵士が多いのだという。特攻隊、理系の学徒出陣・餓死・高齢者の召集。誰も責任を負わずに・・・。

新聞の投稿欄からです。

「(声)公人の靖国参拝に諫言する 96歳 2018812日朝日新聞

 75年前の夏、蒸し暑い部屋で大学受験の勉強をした。合格発表に大喜びしたのもつかの間、東条英機内閣は学生の徴兵猶予を停止した。その時の悔しさは、今でも忘れられない。

 徴兵検査があった故郷の役場の控室で、一人の学生が日米の経済力の差をあげ、無謀な開戦を批判した。みな同感だったと思う。

 私は外地に行かずにすんだが、戦友の多くは南方で玉砕。「十死零生」の特攻兵として若き命を奪われた。

 1945年8月15日、戦争は終わった。私は靖国神社に参拝していたが、知らぬ間に、戦友たちがあれほど非難していた東条元首相ら14人の戦争責任者が合祀(ごうし)されていることを知った。それからは、心の中でこの人たちを排除しながら、お参りしている。

 今年も安倍晋三首相は靖国に玉串料を奉納し、参拝する国会議員もいることだろう。数限りのない戦死者を出した戦犯が合祀されている限り、公人は参拝をやめよと、戦友に代わり諫言(かんげん)する。」


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# by kibouh1 | 2018-08-19 08:33 | 平和を | Comments(0)

何が問題なのか

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年老いての願いが述べられていました。

「食品販売車が 来てくれたら 74

年老いてゆくということをわが身をもって実感する。夫が入院したため、病む足をかばいつつ1時間に 23本の無人駅に向かう。午後からの日差しは痛く、背中の着替えの荷が重い。 「頑張らなくちゃね」「歩いていれば少しでも進むからね」。もはや私自身が私の荷物のようだ。ホームと 電車の間隔が怖い。ヨタヨタのトホホだ。足が突っ張ってきた。窓越しに夫の見送りを受け、背中にまた洗濯物を負い帰路をたどる。帰りは買い物もしなければならないが、近くに個人商店はない。トイレットペーパーは12個入りのみ。牛乳、ヨーグルト、卵、洗剤・・・何もかも重い。そんな中、過疎を回る日用雑貨食品の販売車を思い出した。かつてテレビで放映していた。願わくば、小さなスーパーのような販売車が日常的に来てくれたら心強い。紙おむつも米も、みそ、砂糖、しょうゆも近所で買えたらどんなにいいだろう。そこには子どもたちの姿すら見えてくる気がする。」(201866日西日本新聞)

マスコミは総裁選について派閥が安倍支持だからという報道はしますが、みそ、しょうゆを近くで買われればという願いには程遠い。解説記事に消費増税では「三度目の正直」というものがありました。財政収支から増税はやむを得ないという。

 なにかが違うように思う。

「『1強多弱』は 自民党の派閥  72

森友・加計両学園の疑惑問題など、野党は安倍政権に対し追及するが、安倍晋三首相をはじめ閣僚たちは、人を食ったような答弁をして真相をはぐらかした。国民はもう、うんざり だ。 国会でこれ以上議論しても何の解決にもならない。 国会議員の議席数は大差がつき、内閣支持率は一時的に落ちてもまたすぐに盛り返す。自民党にはそんな考えがあり、安倍首相はやりたい放題だ。こうした政権に自民党内からも反対する声はあるが、次の政権を狙っているせいか、身を守っているせいか力が弱い。かつて佐藤栄作首相時代は田中角栄、三木武夫、福田赳夫、中曽根康弘、大平正芳などの派閥の領袖が競い合って内閣を支えていた。

政治というものは互いにけん制し合って行うものである。今の自民党派閥は安倍1強の大樹に隠れている。弱体派閥に活を入れたい。」(同前)


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# by kibouh1 | 2018-08-18 06:17 | 支え合う社会に | Comments(0)

ひと雨欲しいが

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新聞のコラムからです。

「コラム 花時計

九州北部は平年より8日早く梅雨入りし、雨の季節を迎えた。陰暦6月は「水無月(みなづき)」ともいう。最初に古典で学んだ際、梅雨の時期なのになぜ、と首をひねった「無」は助詞の「の」を意味し、田植えで水を引く時期だから「水の月」なのだという。「水無月」

は当て字で、「水になる月」の読み方が変化して表現された、とも聞いたことがある▽農村部で車を走らせていると、各地 で田植えの準備が進んでいる。水をたたえた田んぼはキラキラと輝き、思わず目を奪われる。水に感謝する月でもある一方で、朝倉市や東峰村にな生々しく残る昨年の九州豪雨の爪痕を目にすると、水の恐ろしさを感じずにはいられない。水なしでは成り立たない私たちの生活。感謝と畏怖を再認識する月にしたい。(豊福幸子)」(201861日西日本新聞)

雷鳴が続いています。酷暑の夏、夕立も欲しいが、雨と言えばハンパない降り方です。竜巻も恐い。「美しい国」とは言えない雰囲気もありますが。

「コラム 気流

安倍晋三首相が唱える「美しい国」とはどんな国だろう。最高権力者をかばうために周りがうそを重ねる国?偉い人の意向を忖度した取り巻きが平気でルールをねじ曲げる国。国民をだました組織のトップが「悪質なものではない」と開き直る国?どれも首をかしげざるを得ない私は普通の国がいい。事実と異なることを言ったら素直に認めて謝るのが当たり前の国。友達に偉い人がいてもいなくても平等に扱われる国。意見が異なる相手 を尊重しきちんと議論できる国。選挙で選ばれた人が国民の代表にふさわしい振る舞いをできる国。そして何より、リーダーが国民から信頼されている国うそがまかり通る国。ばれなければ何をしてもいい国。疑惑まみれの人がトップに居座る国。大好きな日本をこんな国におとしめたのは誰?許してはいけない。」(同前)


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# by kibouh1 | 2018-08-17 06:24 | 震災 | Comments(0)

受動喫煙

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「日本一高い介護保険料、どうする? 福島県の村で検討会201888日朝日新聞

 介護保険料の基準月額が全国で最も高い福島県葛尾村で7日、介護保険対策検討チームの第1回会議が開かれた。有識者を交えて村の現状を共有・分析して、介護保険給付費の抑制対策や、今後の介護予防推進に向けた取り組みの検討をスタートさせた。(以下略)」

原発避難で農作業をしなくなった影響もあるのではないかという。それであれば国の支援策が求められと思うが、そのことは分からない。

かつての愛煙家としては肩身の狭い話です。

「コラム 春秋

 「緩やかに自殺する権利は否定しない」。受動喫煙問題で識者が言っていた。皮肉な言い方ではあるが、成人が、がんなどのリスクを十分に理解し、他人に迷惑を掛けないのなら、自己責任でたばこを吸う権利は認められる-との趣旨だ

▼喫煙規制を巡ってはさまざまな意見がある。「緩やかに自殺する権利」はともかく「緩やかに殺人を犯す権利」は認められまい。他人のたばこの煙を吸わされて健康が損なわれることがない社会。その実現を目指した改正健康増進法が成立した

▼多くの人が集まる建物内は原則禁煙とし罰則も定めた初の法律だ。学校や病院、行政機関などは屋内完全禁煙。その他の職場などは煙が漏れない専用室での喫煙となる

▼ひと昔前、紫煙もくもくの中で働いていたことを思えば隔世の感。が、新法の効果には疑問符も。飲食店は全て禁煙にするはずが、小規模な既存飲食店は「例外」とされた。飲食業界や自民党の一部が強く反発したからだ

▼喫煙できる「例外」の飲食店は全体の55%。これでは「ざる法」との批判もある。一方、東京五輪を控えた東京都は条例で新法よりも厳しい規制を設けた。法律は最低限の基準と捉え、各自治体でさらに対策を進めてほしい

▼気になるのは規制の網からこぼれる家庭内の煙害だ。家族、とりわけ子どもの受動喫煙は虐待だと考えたい。もう一度言うが、緩やかに殺人を犯す権利は誰にもない。=2018/07/20付 西日本新聞朝刊=」

 反省しますが他者に迷惑かけない喫煙はないのでは。


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# by kibouh1 | 2018-08-16 05:25 | 支え合う社会に | Comments(0)

考える力

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「コラム  風向計 「継続は力」の伝道師 編集委員 鶴丸 哲雄

 「継続は力なり」。使い古されているが、人が生きていく上で大切なことを、これほど簡潔に言い表した格言もまれだと思う。(略)

 そんな「継続は力なり」の生みの親が、「日本のアンデルセン」と呼ばれる童話作家、久留島武彦(1874~1960)であるとの説を知った。久留島の故郷、大分県玖珠町に昨年オープンした久留島武彦記念館の金成妍(キムソンヨン)館長が教えてくれた。金さんは39歳の韓国人女性。久留島武彦文化賞と巌谷小波(いわやさざなみ)文芸賞を初めてダブル受賞した、気鋭の文学研究者である。

 金さんによると、久留島はまだ国内でラジオ放送も始まっていない時代に童話の口演活動を始め、全国各地を行脚していた。1911(明治44)年、単身で米国を視察旅行中、ホームシックにかかる。世界有数の旅行代理店「トーマス・クック」に勤める米国人の友人が、こう励ました。

 「タケヒコ、人間には三つの力がある。第1はお金の力。次は地位の力。いずれの力も僕らにはない。ただ、人間には第3の力がある。君も僕も持っている。考えの力だ」(以下略)

2018/08/07付 西日本新聞朝刊=」

もしかしたら考える力が低下しているのかもしれない。それはテレビの登場の時にある評論家が思考力の低下になると注意を喚起しました。あれから半世紀を過ぎてもしかしたら・・・。


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# by kibouh1 | 2018-08-15 06:49 | 支え合う社会に | Comments(0)

いつか見た竹やり

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北朝鮮の核の脅威が盛んだったころ、避難訓練がされた。発射から到達までわずかな時間なのに、わざわざどこかに避難はできないでしょう。その場で頭に手をのせて防御する姿勢がテレビに映しだされた。しかし、考えてください。相手はミサイル。手で防げますか。こんな訓練に易々と参加させられる姿は、かつての竹やり訓練を彷彿させるものでした。政権の意図は、緊張感をあおり、軍備拡大を国民に納得させようとするものではなかったかと想像します。それに対して無批判だったマスコミ。戦時体制の再来かと思いました。どうでしょうか。

2018629日西日本新聞の戦争体験記からです。

「国民総動員で 作った竹やり  81

昭和20年、戦争は日本にとって厳しくなった。4月に米軍が沖縄に上陸し、国は本土決戦を考えたよう だ。国民最後の1人まで戦うといううわさがあったように思う。国民学校3年生 になったばかりの5月ごろ、敵の本土上陸に備え、 国民総動員の竹やり製作が通達された。 一方、戦地で活躍する軍馬に提供する「お茶がら」が集められた。子どもたちは軍馬が活躍することを願い、学校に届けたものだ。家庭にはアルミ製の食器の供出も求められ、地区ごとに集めて役場などに納めた。私は懸命に竹やりを作った。やり先はペン先形だった。わが家の父親のものは、正月に飾る「門松」の3本の竹の先に似ていた。そんなやり先で敵兵に刺さるものかと意見したことを覚えている。」

「終戦直後から 始まった生活  80

2で迎えた終戦直後を思い出す。祖母から電灯の暗幕を取ってと言われ、取った40ワットの電球が明るくまぶしかった。芋の茎の油妙めとご飯が最高におい しかった。 豆腐、おからを買うため 姉と口を利かず1時間くらい並んだ。日に日に食糧に 難儀した。思うように食べ られず、親類の手助けを受けたことが忘れられない。勉強机は飯台を姉と使つていたが、りんご箱を八百屋からもらった。新聞紙や馬ふん紙(ボール紙)を張り、専用の机とした。うれしかった。叔父から机を買ってもらい、不要のりんご箱はウサギ、ニワトリ小屋 に変わった。 学校の昼食は、コッペパ ンと脱脂粉乳が始まった。 粉乳は好きだった。クラス の転出転入が激しく、友達の名前を覚えきれなかった。恒久平和の鐘が鳴り続き、戦争犠牲者の魂を無にせいす、平穏な日々が永遠に続くように願う。」

「復員待つ母に 戦死と言えず  90

昭和1910月、フィリピン・レイテ作戦に完敗した 日本軍は、ネグロス島への 補給路を断たれ餓死病死が多発。現在の陣地から北方の山地ヘ移動し、自給自足の作戦を命じた。米軍の連日連夜の迫撃砲攻撃に対し、各隊から6人の斬り込み隊が選出され、その中に故郷近くの小島出身者がいた。彼は攻撃中、 謎の戦死をした。フィリピ ン戦線で辛うじて生き残って復員した僕は小さな渡海船に乗り、彼の家を訪れた。粗末な石垣に固まれた家 のいろりのそばに、背を丸くして小さな老婦人が座っていた。目も耳も不自由そうに見えた。このまま息子が元気で復員するのを待つことが幸福であるに違いないと思った。

ちまたに「岸壁の母」の歌が流れ、戦地に行った父や 兄弟の安否は不明のまま、 無事を祈りながら待つ肉親たちがいた悲しい時代だった。早々に家を辞して渡船場へと急いだ。残暑は暑く、砂まじりの小路は心も足も重かった。」


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# by kibouh1 | 2018-08-14 06:44 | 平和を | Comments(0)

息苦しい時代に

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「青い山脈」は青春賛歌でした。後々まで歌い継がれました。そのなかの台湾の歴史を知りました。

「コラム 風向計

まぶしき「青い山脈」 編集委員 上別府 保慶

 今は亡き映画スターの池部良さんが84歳になっていた2002年、招かれて台湾を初めて旅することになった。

 池部さんには戦時中、召集されて中国大陸で国民党軍と戦った経験がある。戦後は国民党の統治下へ移った台湾を訪れるのは「怖いような気がした」が、地元の人々に「池部さんが出た『青い山脈』を上映するので、ぜひいらっしゃい」とせがまれては断れない。台北のホテルに現れた時の表情は緊張気味だった。

 招いたのは、司馬遼太郎さんの台湾取材を世話した蔡焜燦(さいこんさん)さんら日本の統治時代に育った「日本語世代」の年配者たちだった。ホテルのホールは約600人で埋まり、「青い山脈」の上映後に池部さんが拍手を浴びて登壇した。

 池部さんは戦前の邦画界の様子や、入隊直後に部隊で見た映画が、くしくも自分の出演作で涙が止まらなかったことなどを話し、原節子さん、藤田進さん、高峰秀子さんといったスターの名を出すたびに「おお」の声が飛んだ。

 それにも増して会場がわいたのは、復員した池部さんが30代で旧制高校生を演じた1949年の「青い山脈」のこと。会場は「若く明るい歌声に」の主題歌の大合唱となったが、池部さんは「青い山脈」がなぜこれほど日本語世代の心に響くのかが、いまひとつ分からぬ風だった。

 1945年夏、日本の敗戦で台湾は日本から蒋介石の国民党政権下に移り、台湾人は「われわれが自分自身の主人になる日が来た」と喜んだ。だが始まったのは恐怖政治。流血の惨事が相次ぎ、人々は息を潜めて生きた。そこへ戦後初めて輸入された邦画が「青い山脈」だったのだ。(以下略)=2018/08/09付 西日本新聞朝刊=」

 恐怖政治に脅える人たちを励まして。歌の力の大きさを感じます。


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# by kibouh1 | 2018-08-13 06:19 | 支え合う社会に | Comments(0)

お年寄りにはお子さんなど家族がいないか、遠距離の人も少なくないと思います。家族で可能な人は介護するでしょう。介護保険など「外注」と呼ぶことに抵抗感があります。しかし、政府は「地域共生社会」の美名のもとで公的な負担を大幅に削減しようとしています。

「田下昌明氏は「少子化対策でお金を出したら子供を産むかというと、多少は喜ばれるかも知れませんが、遊興費に使われるのが精いっぱいです」とまで言っています。また、「政府のやっている少子化対策は金銭的な面だけ」だと従来の少子化対策を批判し、必要なのは「お母さん、ありがとう」「日本、大好き」という気持ちだと主張しています。

高齢者介護について見てみると、たとえば百地章氏は自民党の山谷えり子衆議院議員、高池勝彦現「新しい歴史教科書をつくる会」会長との『正論』誌上の鼎談において、「老人介護も――今は全部外注みたいになっていますが――家族で出来るたけのことはやってみる。国は家族を支援するという発想があって良いのです」と言います。

「介護離職」が社会問題化しているなかで、「今は全部外注みたい」という認識のもと、家族の役割が強調されているわけです。 もう一例あげておくと、2012年、日本会議新潟県本部阿賀北支部主催の講演会で八木秀次高崎経済 大学教授(当時)は、生活保護の予算が37000億円に達していることにつき、「経済状況が悪いからではありません。国民の聞でモラルハザードが起きているからです」と発言しています。貧困という社会問題を「モラルハザード」という概念で捉えようとする姿勢は、少子化を「家族の絆」「母性」などの問題として捉えようとする姿勢につうじるものを感じます。」(『右派はなぜ家族に介入したがるのか』)

2040年に社会保障費が190兆円になるという政府発表をマスコミは大きく報道しました。ですが、社会保障費はGDPのなかでどのくらいの比率かで財政に影響するかだと専門家の主張があります。2040年までに悲観的に見積もってもGDPは相当伸びるという試算がされています。本当に怖いのは2040年以降では少子化で人口減になるということではないかという。マスコミは冷静な報道をしてもらいたい。


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# by kibouh1 | 2018-08-12 06:45 | 介護 | Comments(0)

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新聞の投稿欄からです。

「(声)障害児も共に学べる学校に 70歳 201881日朝日新聞

 私には最重度の障害がある10歳の孫がいて、特別支援学校に学校のバスで通学しています。通学仲間の中には自己表現や主張がうまくできないだけで、いわゆる知的障害に当てはまらないのではと思う子もいます。保護者に尋ねると、普通学校ではその子への特別な支援ができないので、支援学校の方がいいと言われたとのことです。

 現在、障害の有無で区別されず、教師が一人ひとりに丁寧に向き合い、どんな子も共に学び合う「インクルーシブ教育」が推進されています。私は、普通学校の特別支援学級をより充実させることが、どの子にとっても意味ある学びの場を生み出すのではと考えます。

 私の孫は、学習塾と音楽教室に通い、内容は違いますが、健常者と同じ場で学んでいます。先生方の理解もあり、障害者と健常者が交流しながら互いに認め合い、成長できる場が現に存在できているのです。孫は健常者の子どもから多くの刺激を受け、健常者の子どもたちは孫との関わりから健常者同士の関係だけでは得られない学びを得ています。2こうした学び合いが、義務教育においてなぜ広がっていかないのか疑問を感じます。」

特別支援学校は養護学校と呼ばれていました。その前は、障害児は就学免除の適用が多く、とにかく学びの場での受け入れとして普通学級とは別の学校で学ぶことで決着したと聞いたことがあります。しかし、今も猶予か免除の人たちがいるとのことですので、実態はどうなのでしょうか。国連の「障害者権利条約」では基本はインクルーシブ教育だとしています。早期の実現を期待したい。


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# by kibouh1 | 2018-08-11 06:31 | 障害者 | Comments(0)

国会は遠い

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先の国会でカジノ法・モリカケ問題では世論は国会とは遠く離れていました。

「負託裏切った政権の責任は  77

忖度は古今東西変わることのない役人の常識的態度である。支配服従の関係の中では当然の行為なのだが、あうんの呼吸みたいに、分かりにくい。いわば心の問題なのだ。これを関与していないだとか、指示して いないだとか、頑強に否定するから問題がややこしく なった。最初から反省とおわびを表明していれば大事に至らなかっただろう。無用の隠蔽が連鎖拡大し、公文書改ざんという前代未聞の不祥事に発展した。国会の空転という副作用まで伴つて。このことを政権は重大問題と認識しているとは思えない。政治に責任を取る様子はなく、首相の「責任の痛感とおわび」だけで済ましてしまいそうな態度が見えるからだ。

国政を停滞させ、国民の負託を裏切ったことを恥じて総辞職でもするのかと思ったが、そんな雰囲気はない。「首相案件」の問題も含めて、民意は不問に付すのだろうか。悪政には終止符を打ちたいものだ。」(2018523日西日本新聞)

そして総裁再選だという。民意とのねじれは解消するのでしょうか。


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# by kibouh1 | 2018-08-10 05:49 | 政治・行政 | Comments(0)

規則ずくめでいいですか

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「コラム デスク日記

 平日の朝、水筒を準備する。高校に通う息子に持たせるためだ。小学校入学以来、夏も冬も。息子は主に福岡県で育った。周囲の子どもたちも同様に水筒を持参していたので、特に疑問に感じていなかった。

 しかし、さにあらず。水筒を巡る状況は、地域によってまちまちなのを最近知った。

 全国的には、水筒の持参を認めていない地域が結構あり、記録的な猛暑を受けて近年、持参可に切り替えた地域は多いが、6~9月など暑い時期に限定しているケースもあるという。水分補給は学校の水道水などで。水筒持参を認めている学校でも、給食時に飲んでいいとか、禁止とか、ルールはいろいろのようだ。

 インターネット上には、水筒持参の賛否などさまざまな意見がみられる。専門家の調査によると「水筒文化」は西日本に多く、東日本は少ないなど地域偏在があるという。皆さんが住む地域はいかがでしょうか。 (簑原亜佐美)=2018/08/06付 西日本新聞朝刊=」

このように規制してどういう意味があるのでしょうか。水筒が買えない子どもがいるからか。この夏のように経験則で分からない陽気です。なにか教育の本筋が違っているように素人目には感じます


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# by kibouh1 | 2018-08-09 07:29 | 社会 | Comments(0)

人権感覚のなさを危ぶむ

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繰り返しになりますが、自民党の人権意識の低さに驚いた。それは日本を代表する意見なのだろうか。

「 社説 LGBT発言 政権党の人権感覚を問う

 「大したことはない」と最初は高をくくっていたら、思わぬ火の粉が飛んできたので慌てて「火消し」に動き始めた-。そんなありさまが目に浮かぶ。

 自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が、子どもをつくらない性的少数者(LGBT)について「生産性がない」「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと先月18日発売の月刊誌に寄稿した問題のことだ。

 性的少数者に対する差別と偏見に満ちた許し難い言動である。LGBT関連の団体はもとより、国民から強い批判と疑問の声が起こったのも当然だ。

 だが、自民党は鈍感だった。二階俊博幹事長は「いろいろな考え方の人がいて自民党は成り立っている」「人それぞれ、いろんな人生観がある」などと問題視しなかった。(略)

 自民党は1日付でホームページに「LGBTに関するわが党の政策について」と題する見解を載せた。同党は一昨年に「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指す」基本的な考え方をまとめ、同年の参院選や昨年の衆院選で公約に明記した、と説明している。

 その上で杉田氏の寄稿について「個人的な意見とはいえ、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実」と認め、本人に「注意するよう指導した」という。

 党見解の公表と歩調を合わせるように、この問題に関する発言を控えてきた安倍晋三首相(党総裁)も2日になってようやく「人権、多様性が尊重される社会を目指すのは当然だ。政府、与党の方針でもある」と記者団に語った。

 これが、月刊誌の発売から2週間後の対応である。遅きに失した感は否めない。さらに、党本部による「指導」で済む問題なのか。首相の発言も一般論の域を出ていない。

 党見解を受けて杉田氏は「真摯(しんし)に受け止め、研鑽(けんさん)に努めていく」との談話を出したが、謝罪もなければ撤回もしなかった。(以下略)=2018/08/04付 西日本新聞=」

謝罪しないことは発言を否定しないと言いうことだ。騒がした事だけの問題だという意識か。


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# by kibouh1 | 2018-08-08 06:46 | 支え合う社会に | Comments(0)

本音は号泣

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2018525日西日本新聞の戦争体験の投稿欄からです。

「博多駅に待機戦 原爆に遭わず 78

知人で89歳の方のお話です。昭和2088日、軍の命令で門司駅から軍需工 場がある長崎に向かっていた。当時16歳。途中博多駅で汽車の故障か何かの事故で1日間待機させられた。翌9日、とてつもない大型爆弾が長崎に落ち、町は壊滅状態と伝えられた。長崎行きは中止となった。上官から「おまえたちはすぐに門司駅に引き返すように」と命令があり、毛布1枚とおにぎりが支給された。長崎で何が起こったのか理解できないまま門司駅に引き返した。あとで上官から聞かされた内容は、今まで見たこともないような大型の爆弾で、広島に落ちた原子爆弾と同じだったと。汽車の故障もなく長崎に着いていたら、原爆の被害に遭っていただろう。九死に一生を得た、という。第2次世界大戦で門司港から戦地に駆り出された軍用馬(全国で100万頭ともいわれている)は、終戦後1頭も帰ることがなかった。生きている恩返しと馬の弔いのために力を注いでいる、とのことだった。」

「帰国かなわず 桜見ることも  84

昭和19年、戦争もずい分 激しくなっていたころかと 思います。私は小学校の5 年生でした。ある日の放課後、戦地の兵隊さんヘ慰問文を書かされました。一生懸命心を込めて書いたと思います。先生方がまとめて出してくださったのでしょう。後日、兵隊さんから、返事が来ました。シベリアからです。 しかもその方は家の近所の方で、まだ若いお兄さんで した。はがきには「今頃学 校の桜がきれいでしょう」 と書いであったことを覚え ています。

出征する前、お兄さんは大きな体にちょっと小さめの背嚢を背負い、旧制の工業学校ヘ通っていた姿も目に浮かびます。私の家のすぐ山が小学校で校庭に大きな桜の木が2本あり、毎年 すごくきれいな桜が咲いて いました。お兄さんも遠い シベリアの地で、あのころ の桜を思い出していたのか もしれません。でも、とうとう日本に帰 ることはなく、桜を見るこ ともできませんでした。桜 の季節の寂しい思い出で す。」

「『名誉の戦死』 本音では悲泣  87

私は14歳で藤沢海軍航空隊に入隊した。出征の際、村人が氏神様の境内に集まり見送ってくれた。私は「国のため見事に散る覚悟であります。家族をお頼みします」とあいさつした。村人 は泣いた。父は傷痩軍人で静養していた。母は病弱で水田2反を耕作していた。私が頼りだった。「拝啓お母さん、体の具合はよかですか。便りが遅くなりすみません。私は元気で訓練に励んでおります、ご安心ください。田んぼは近所の人にお頼みして、体を大切にして長生きしてください。私は一生懸命頑張り、手柄を立てて出世します。村の誇りと村人から尊敬される偉い軍人になります。そんな息子を心から喜んでくださるのはお母さんだけです」私が出征後、母は約2カ月間食欲がなく、かなりやせたと弟から聞いた。二度

と軍人になるものかと思った。戦中は名誉の戦死は建 前で本音は悲泣だった。」


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# by kibouh1 | 2018-08-07 06:02 | 平和を | Comments(0)

人権意識の低さ

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幹事長がいろいろと考えはあるというが、社会の共通の規範というものがあると思う。例えば、人種差別などです。いろいろのひとつではないはずだ。

「『生産性・・・』はうば捨て思想 80

自民党の杉田水脈衆院議員が、性的少数者(LGBT)への行政支援を「生産性がない」と月刊誌に寄稿したことに驚いた。信条、言論の自由が保障されているとはいえ、この人権無視は度が過ぎている。 杉田議員の言う「生産性がない者」は幅広く存在する。高齢者や子どももしかり。中でも高齢者の大多数は国費を逼迫させるだけの、生産性のない存在だろう。国家の財政破綻を回避する近道は、高齢者福祉を排除すること。そうすれば財政は安定化し日本は幸せな社会に生まれ変わる。杉田議員のお説にはこんな意味も含まれるのではないか。二階俊博自民党幹事長も杉田発言を「人それぞれ」と容認した。自民党本流の水脈はここにありか。LGBT排除論は、うば捨て思想と何ら変わらない。近代史には似たものがあった。ヒトラー政権も1強支配の独裁政治で、絶対多数の支持者が後押しした。」(201882日西日本新聞)

自民党のホームページに掲載された注意したという文書も読みましたが、「個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです。」というものです。注意する問題なのかと思う。


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# by kibouh1 | 2018-08-06 05:17 | 支え合う社会に | Comments(0)

生産性で敬意なき老人に

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LGBTの人に対して「生産性」がないとした人がいます。人を生産性で評価することは、高齢者・障がい者など「弱者」を役に立たない存在とする思想です。老いることの尊厳を大切にしていきたいと思う。

「『老い』に価値がある介護現場であること。だからこそ、すまいるほーむにおいて利用者さんたちは人として尊重されているという実感を持てているのである。聞き書きによってそれぞれの個々の人生やその思い出が、スタッフや他の利用者さんたちにも共有されるとともに、老いていき死に向かって下っていくそれぞれの存在もそのままで価値あるものとして受け入れられることで、最期まで希望をもって下りきろうと互いを支え合っているのである。そういう意味で、過去の記憶を掘り起こして、利用者さんとの死へ向かうプロセスに本当に意味で寄り添うことがあり、人が老いていくということの在り方や意味を考えて深い営みであると言えるだろう」(「介護民俗学という希望」)

物差しが違うと思う「生産性」

「コラム 春秋

「生産性」という言葉が引っ掛かっている。一定の原材料や労働力でどれくらい製品を生み出せるか、という目安だ。生産性が高いと聞けば、ロボットが次々と部品を組み立てる工場の光景が浮かぶ

▼この言葉を出産に当てはめ、赤ちゃんを授かるかどうかで人として生産性が高いとか低いとか決めつけていいものか。性的少数者(LGBT)に対する自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の発言である

▼雑誌の寄稿で、LGBTカップル支援に税金を使うことを疑問視し「彼ら彼女らは子どもをつくらない、つまり『生産性』がない」と断じた

▼暴論、極論、人権意識の低さよ、と批判するのは簡単だが、これが杉田氏個人の不見識にとどまらないとすれば、問題は根深い。以前、柳沢伯夫元厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」発言があった。今回も自民党内には杉田氏をかばう空気が

▼二階俊博幹事長は「人それぞれ、政治的立場はもとより人生観もいろいろある」と述べ、党として問題にしないという。個人の権利より、お国のために産めよ増やせよ-。そんな戦前のような感覚がいまだに残っているのか

▼「生産性」にも2通りあるそうだ。前述の「物的生産性」と「付加価値生産性」。後者はどれだけ新しい価値を生み出せるかを評価する。LGBTへの理解は、基本的な人権の考え方に新たな価値を加えるものだとすれば、むしろ「生産性」は高いのでは。=2018/08/01付 西日本新聞朝刊=」


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# by kibouh1 | 2018-08-05 06:33 | 高齢者 | Comments(0)

官僚の風土は

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文部科学省のことだけでしょうか。

「春 秋

 英女性作家エミリー・ブロンテはあす生誕200年。「世界の十大小説」ともいわれる「嵐が丘」は映画や芝居にもなり、ご存じの人も多いだろう

▼舞台は寒風吹きすさぶ荒れ地の館。そこで育った孤児の青年は主人の娘と恋に落ちる。娘も青年を愛していたが、上流社会に憧れて金持ちとの結婚を選ぶ。絶望した青年は報復の決意を固め…

▼厳しい寒風が吹き付けているといえば、この役所だろう。不祥事が絶えない文部科学省である。組織的な違法天下り斡旋(あっせん)が発覚し、事務次官が引責辞任したのは去年のこと。加計(かけ)学園の問題でも世間の批判を浴びた

▼さらに「事務次官候補」とされた局長の「裏口入学」事件。医大に便宜を図る見返りに、自分の子を不正合格させたとして受託収賄罪で起訴された。教育行政を所管する役所として最も恥ずべき行為である

▼危機感を強めた同省若手職員らが「組織を挙げて文部科学行政の信頼回復に全力で努めなければならない」との申し入れ書を幹部に提出した。そのさなか、今度は局長級幹部が収賄の疑いで逮捕された。便宜の見返りに多額の飲食の接待を受けたという

▼彼らとて文科官僚を志した時には、教育に対する情熱と子どもたちへの愛情があったはず。それを捨て目先の利益を選べば国民の信頼失墜という報復は当然だ。幹部連中には絶望しても、この国の教育を荒れ地とせぬよう、若手よ、今こそ奮起を=2018/07/29付 西日本新聞朝刊=」

他省庁にも似たような風土はないのでしょうか。天下りの問題がひとつの背景にあると思います。OBは天下り先からの成果を期待されます。それが分かっていて具体的な仕組みを提示できなかった政治の責任も問われていねのではないか。


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# by kibouh1 | 2018-08-04 06:40 | 政治・行政 | Comments(0)

露伴の涙

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「オピニオン   春秋

 作家の青木玉さんは、母が離婚したため祖父の家へ移り住むことになった。当時9歳。心構えを母が説いた。祖父への「口答えや重ね返事」は厳禁。「大きな声で騒ぐ」のも駄目-。母に「うん」と答えたら怒られた。返事はこれから「『はい』と一言で」(略)

▼祖父、幸田露伴の思い出を青木さんが書き記している。1937(昭和12)年に第1回の文化勲章を受章した大作家であるが、家庭では相当に厳格で気難しい方だったようだ

▼夏休み。お孫さんが訪れる日を指折り待っている方も多いことだろう。孫をかわいがる人間は、生物の中でも例外的な存在。一方で「孫は来てよし、帰ってよし」とも。楽しさがやがて気苦労に変わる。それでもどうぞ、かけがえのないひとときを

▼孫には素直に愛情を表現できなかった露伴が、「ああ若いものがなあ…」と号泣したことがあったという。戦時中、特攻出撃した隊員たちへ万感の思いがあふれた

▼「軍を預かる者は何をしているのだ」と首脳部を批判。自宅には特高警察が訪れて来客を探っていたそうだ。国宝級の「頑固おじいさん」ぶりを発揮した露伴。71年前の今日亡くなった。=2018/07/30付 西日本新聞朝刊=」

1回の文化勲章は1937年。盧溝橋事件があった年で日中戦争から対戦となり1945年まで続きます。若者を死に追いやった戦争。今は1937年と似ているそうです。


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# by kibouh1 | 2018-08-03 06:16 | 平和を | Comments(0)

気候が変われば

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新聞の投稿欄からです。

「みんなの広場  高齢者にエアコンの声がけを=55歳 毎日新聞2018728日 

ある暑い日の午前11時ごろ、89歳の母を施設に送った帰りに、真っ赤な顔で歩いている80代くらいの女性がいた。「大丈夫ですか? お水持っていますか? (目の前にある)コンビニでお水を買った方がいいですよ」と声をかけたが、この高齢女性は「ありがとう、年金暮らしなので駅まで歩いていきます」と、コンビニには寄らず、ヨロヨロと歩いて行った。家に帰り、母の女学校時代の同級生2人に電話。2人とも一人息子で、それぞれメガバンクと1部上場企業で働いている。私が「酷暑だからエアコンをつけてね」と話しても、共に「電気代が……。暑さを我慢して、息子と孫に1円でも多く残したい」というようなことを言う。(以下略)」

我慢が美徳になっているのでなかなか変えるのが難しいのかもしれません。それにしても今回の台風は困ったものです。東京から九州に下ってくるのですから。豪雨被災地は気が気ではなかったと思いますが、福岡では少し風が普通より強いかなという感じでした。ボラティア頼りの復旧で良いのか。国がすることがあるのではないか。


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# by kibouh1 | 2018-08-02 04:02 | 震災 | Comments(0)

お別れの旋回 何度も

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201854日西日本新聞の戦争体験記からです。

「お別れの旋回 何度も何度も  87

敗戦を迎えた時、15歳で した。父の転勤で都会から 少し離れた土地に住んで たので、空襲に遭わずに済みました。戦中戦後の食糧不足が育ち盛りの身にとって忘れられないことでしたが、もっと誰かに伝えておかなければと思うことがありました。それは敗戦の前年だったと思います。ある日、近くの大きな柿の木すれすれに、小さな飛行機が何度も円を描きなが ら飛びました。すさまじい 音と姿で、柿の葉が風圧で はらはらと落ちるほどで す。

その時、突然母が近所の家に走って行きました。その家のご夫婦は日の丸の小旗を手に、慌てて出てこられます。母はわが家の日の九の旗ざおを振り回し始めました。いったん遠ざかった飛行機は、その後何度も何度もみんなが見上げる空 を回ります。67回だっ たでしょうか。飛行機が去った空をみん な放心したように見つめました。一人息子さんのご両 親へのお別れだったので す。少したって戦死の知らせがあったそうです。」

「日の丸飯盒飯 梅干しの記憶 78

ビルマ(現ミャンマー)に派遣された96歳の方の話です。昭和1971日、門司港を出て激戦地ビルマに向かった。母が丹精込めて作ってくれた梅干しを持たせてくれた。梅干しを白米の上にのと日の丸の国旗に似ていた。倹約や粗食の精神を浸透させるため広く推奨され、特に野戦病院では必需品だった。保存が利き、健胃整腸、去痰、せき止め、塩分の補給にもなった。戦地では昼間は煙が目立ち、敵に居場所が知れるため、なるべく夜に飯盒を炊いた。戦地では暑さと湿気ですぐに飯盒飯は腐ったが、梅干しをのせると数日間は保存できた。暑い戦地での梅干しは貴重な食料った。が、半年足らずでなくなった。仲の良い戦友には貴重な梅干しをやることもあったが、その戦友も終戦間際に戦死してしまった。

今でも梅干しを食べるたびに母が戦地に持たせてくれた太陽の匂いがする。梅 干しと日の丸飯盆飯のこと を忘れることができない。」

「手足をなくし 物を乞う姿が 77

5歳のころ終戦を迎え た。その後すぐに母を亡くした。「空襲警報発令」の 声とともに豆電球を消し、 近くの防空壕に避難したが、モンペと防空頭巾の母の姿を思い出す。父は終戦後しばらくして帰国した。後に軍人恩給を いただく傷痍軍人だった。道端には手や足を切断した白装束の兵隊さんが、うじ 虫にまみれて物を乞う姿を見た。博多駅周辺では親を亡くした戦災孤児がたむろはしていた姿を覚えている。敗戦直後、校が始まったが給食はなく、イナゴと芋の弁当を食べた。弁当にもありつけない友が多数いた。ノミやシラミの駆除にDDTを頭から散布され、腹には白い大きな回虫を宿していた。

人間は聡明で豊かな時代になっても、感情がある限り戦争はなくならないようだ。将来は終戦や停戦を仲介する大国も存在しないかもしれない。戦争は人類の滅亡をきたす。戦争に突入する前に、各国首脳の理性を持った対応を問いたい。」


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# by kibouh1 | 2018-08-01 05:52 | 平和を | Comments(0)